2024年 02月 16日
2024日記【047】境界と自由928
承前
元禄4(1691)年 4月、芭蕉がいた京都でも「今、オランダ人が来ている」という噂はたったはずなので、ちょうど京都に来て嵯峨野へ向かう芭蕉の耳にも入ったろう。
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オランダ人の京都での定宿は、三条河原町下ル西側大黒町南町あたりで、芭蕉が訪問していれば楽しいことになりそうだが、延宝6(1678)年に35歳だった芭蕉は、元禄4年には48歳になっているのだ。もうオランダ人が面白い年齢でなくなったとも言うべきか。
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ケンペルが京都におり、芭蕉が嵯峨野に入った日の芭蕉の筆跡(「嵯峨日記」)を私的意訳で掲載しておく。誤訳はある見込み。
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ー続く
↓ オランダ人の定宿があった京都南大黒町を、木屋町方面から高瀬川ぞいに見るの図。橋は「材木橋」。舟で鴨川から高瀬川に運んできた材木を荷揚げしたのだろう。木屋町の由来もわかる。GoogleMap
