2024年 04月 01日
2024日記【092】境界と自由974
承前:
さて、それで「徳川綱吉、堀田正俊、稲葉正休、河村瑞賢のモザイク並べ」ということになると江戸市中の噂話に頼るわけにもいかず、幕府側の史料を読まなければならないが、実は良い本があって、ここからはその本を枕にしていきたい。
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「儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉」/小川和也/2014/講談社
この本によって、これまで未知だった徳川綱吉の「雨天の能」について知ることができた。新井白石が室鳩巣に語ったことを、鳩巣が書き留めた「鳩巣小説」の一節だ。
◼️「(江戸城中での)お能が予定されていたが、にわかに雨天となって(綱吉将軍は)『油障子で(能舞台に)屋根を付けて能を始めよ』と側近の牧野備後に命じた。(それを聞いた)堀田筑前守正俊は『公家を接待するお能であっても(雨天であれば)日述べをしたことはある。(公家の接待なら)今後雨天の際、油障子で屋根をつくりお能をお見せすることもありうることだ。(だが、今予定されているお能は)将軍の楽しみのための能ではないか。雨なら何度でも日述べし、晴れの日ならいつでもお申し付けくださるのが良かろう』とあえて仰ってお能を中止させた。(このように堀田筑前守正俊は将軍に)へつらうことは一度もなく、常にこのようだった。しかし後には驕慢になられたので人々に憎まれ、稲葉石見守正休に刺殺されたことを『いい気味だ』などと感じ、稲葉殿を将軍の忠臣などと言う向きもあるのだ」
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家康以来、能楽は幕府の公式の儀礼の楽であり、江戸城でも本丸に能舞台がつくられた。以上のような記述があるということは、江戸城の能舞台には屋根がなかったということになる。
ー続く
↓ 江戸城二ノ丸の能舞台(寛政12<1800>年)マルに囲まれた部分が舞台