2024年 11月 09日
2024日記【311】境界と自由1193
承前:
芭蕉が「四国の山ぶみ」と書いているのは、おそらく讃岐の白峯のことだろう。西行は崇徳上皇の陵墓を訪れている。
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香川県坂出市のサイトには、次のように書かれている。
「保元の乱に敗れ、讃岐の地(坂出)ですごした崇徳上皇。崇徳上皇が没した3年後の1168年に、西行法師が白峯御陵を訪れたときに通ったとされる、青海神社から白峯御陵までのおよそ1.34キロの参道」
すなわちそれが「西行法師の道」と、今呼ばれている。
↓ 西行が崇徳上皇の陵墓に向かったとされている道。進むにつれて険しくなる。/坂出市のサイトから無断引用