2024日記【354】境界と自由1236

承前:

芭蕉にとっては死の一年前に許六の入門を受け、しかも早々に「白砂人集」など秘伝書の譲渡をしたのは、許六が彦根藩のそれなりの藩士(300石)であって、秘伝書がちゃんと相続されると確信したのだろう。実際、何度かの筆写を経て、版本も刊行されており、現在も東京大学や早稲田大学がデジタル公開している。

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芭蕉は、京都の去来とよくよく文通するようにと、許六に求めていたと思われるが、許六は藩の飛脚便を使えたのだろう。逆に、実際に京都まで行って去来と交流できるだけの自由はなかったようだ。

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元禄6年5月4日付、芭蕉から許六への手紙(大意)「お手紙ありがとうございます。6日に(江戸勤番を終えて彦根に)お立ちなされるということ。まことに急でまだ未練は尽きなく、如何ともしがたく残念です。(中略)ご帰国されたなら、去来と文通してください。私からも去来に言っておきます。去来は芯のある確かな人物です。(以下略)」

※結果、去来と許六の大量の書簡が「俳諧問答」に残されている。

※許六も「俳諧自讃之論」の冒頭で「亡くなった芭蕉先生が、(彦根に帰ったら)京都の去来子と心やすく文通しなさい、とおっしゃったので、失礼ながら去来先輩に度々手紙を送りつけました。だから他の同門の人とはまったく議論しなかった。これも芭蕉先生の恩を忘れなかったゆえとお察しください」と書いている。

↓「白砂人集」版本/早稲田大学アーカイブ

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by kugayama2005 | 2024-12-23 17:00 | 2024日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005