2026日記【091】境界と自由1706

承前:

やはり、口述の集積だけでは事実が見えて来ないということだろうか。柳田國男にしても膨大な収集から、何かの理論構築を試行すると、結果は不可知なものになる。というより素材と方法論を結ぶことができない。一方、折口信夫のマレビト論は「国文学の発生(第三稿)」にあるように、結論から始まる異様な構想だ。このふたりが突然友好関係を失ってしまうのも、道理だと思う。 ↓伊良湖みさ/Wikimedia commons

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by kugayama2005 | 2026-04-01 17:00 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005