リルケの墓碑銘(夏休みモード09)

それで偶然のいきさつでこの夏の旅には「リルケ詩集」を持っていったのだけど主に飛行機の中と、ホテルでの朝食時に読んだ。詩集なんて読んでいるオヤジは少なかろうとて、恥ずかしくて隠しながら読んだ。結論から言うと、やっぱり18歳ではわからないけど、今ならわかる部分がわかったと思います。短いもので、リルケ自身が死を意識して、そして実際にローヌ川沿いの墓に刻まれている詩を・・・わざと(笑)ヘタクソに訳してみます。

薔薇 おお 清らな撞着
喜び
誰の眠りもそこにはない
その幾多の 瞼の下には

Rose, oh reiner Widerspruch,
Lust,
Niemandes Schlaf zu sein
unter soviel Lidern.

・・・この、薔薇の内部に秘められたものが、外にむかって開く。しかし、薔薇の内部にあったものは結局自分だけなのではないか、というイメージはリルケには何度も繰り返し現れる主題なのです。でもこの墓碑銘は、瞼(薔薇の花びら)の下には誰の眠り(死)もない=それが喜びでもある、ということが書いてあるとすれば、それまでに現れたリルケの薔薇のイメージとは少し違うのですが、それをまとめて「撞着」(普通ここは「矛盾」と訳される)として読む者の心をゆさぶるんですね。閉じている瞼はあるが、瞼の奥にはなにもない。墓はあるが、ボクはここになんかいないよ、とも読めます。でもそういう矛盾が喜びなんだ、と言っています。

サロベツとか、名もない草の丘で、これと同じような気持ちになりました。草が地平線まで風に揺れている。向こうの丘から、雲が下がってきて、草や花やボクとかチャリ坊を濡らす。草と風って、別々に存在しているものでしょうか。・・・草の一本一本を引き抜いていったら、草原の秘密が解けるのでしょうか。まさに瞼の下の瞳には誰の眠りもない。自然というのは、清らかな矛盾の喜びだってね。

ところでリルケの名前は、ライナー・マリア・リルケと言います。マリアとは女の名前じゃないのか、と思いますけど、ムカシのドイツ語の先生の解説では、マリアの時間に生まれし、という意味だそうです。しかしただそれだけじゃなくて、リルケの複雑な育ちかた(母はリルケを産むとすぐ離婚し、幼児リルケを女の子として育てた)と関係しているのではないかと思います。


ラファエロの聖母子像


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アヴェ・マリア選集。特に、若い頃のバーバラ・ボニー(ソプラノ)は素晴らしい。このジャンルがボニーの独壇場であることがよく分かります。


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Commented by トントン at 2006-10-30 00:02 x
散人さん・・・う~ん、難しいなぁと、私わかったのであろうかと、思いつつ・・・ものごととは矛盾に満ち満ちていて、私もある風景を写真に写して感じたことが似たよううな事だったような気がする・・・明日載せてみます。
ちょっと違うかもしれないけど・・・・
リルケって、若いころ、拾い読みしかしてないんですよ。あの日本語訳散人さんだったのですか!
Commented by kugayama2005 at 2006-10-30 00:26
はー、まあやさしい言葉で書いてありますので・・・誰が訳しても同じになります。でもWiderspruchを矛盾ではなく撞着と訳したところが味噌です。Widerspruchは正確に言うと矛盾ではないような気がします。・・・リルケは今、本国でも忘れられた詩人になってしまっているようです。
Commented by トントン at 2006-10-30 16:11 x
載せてみました・・・葉、一枚、一枚見ていたって、全貌なんてわからない。シルエットになって初めて見えてくるもの・・・でも、今度は、一枚、一枚が・・・消え・・・違うかもしれないけど
散人さんの・・・サロベツの一本一本の草が・・・思い出しました。
ん、確かに・・矛盾ではなく、撞着のほうが・・・どれも、魅かれるのだものね。
by kugayama2005 | 2006-08-19 07:37 | ♪音楽の楽しみ(欧州スラブ) | Trackback | Comments(3)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005