KATHERINE JENKINS「Do Not Stand at My Grave and Weep」(春だから女性ヴォーカルを03)

日本では「千の風になって」という表題に訳されて別のCDが注目されているらしいけど、ボクはそれとは関係なく、キャサリンのDo not stand at my grave and weepを聴くという次第。この詠み人知らずの歌詞の由来については諸説あるあるらしいが、いずれにしてもある人が死を意識して別れのことばを書き、去って行ったというものらしい。例によって薄弱な外国語知識で訳してみたが・・・。

<散人訳>
わたしのお墓ですすり泣くことはしないで
そこにはいない、わたしは眠ってはいない
わたしはひと筋の風になって吹いているの
わたしは雪原にきらきらするダイヤになる
わたしのお墓で泣き声になったりしないで
そこにはいない、わたしは死んではいない
わたしは実った麦を照らす日の光となって
わたしは優しくふりそそぐ秋の雨となるの
あなたが朝の静けさに目覚める、そのとき
わたしはそこに弧をえがいてすばやく飛ぶ
おとなしい寡黙な小鳥たちの飛翔となって
わたしはやわらかに輝く夜の星ぼしとなる
わたしのお墓で泣き声になったりしないで
そこにはいない、わたしは死んではいない

<原 文>
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

どうもわからないのが肝心の、I am a thousand windsなんだけど。・・・I am thousand windsなら「千の風になって」だろうけど、I am a thousand windsというのは、「私はたくさんある風のうちのひとつ(となって吹く)」という意味じゃないのだろうか。だからそう訳してみたけど、英語のわかる人に教えてほしいところ。あと、weepとcryの訳し分けはしなければならないんじゃないかな。脚韻としてweep~sleep blow~snow grain~rain hush~rush flight~night cry~dieと踏んでいるだけだから、weepでもcryでも「泣く」でいいんだという態度は詩を訳す態度ではない。ボクはweepは、すすり泣く、cryは泣き声になる、と訳してみた。

行頭は、Do not~ I am~ I am~ I am~ Do not~ I am~ I am~ I am~ When you~ I am~ Of quiet~ I am~ Do not~ I am、となっていてとても普通の詩ではないが、冷静ではありながら生に執着せざるをえないことがかいま見えて、じつはこの行頭のリフレインがふかくきびしく感動を呼び起こすのではないだろうか?

キャサリンは丁寧に歌っている。なお詩の作者は男性という説もあるが、女性と考えて訳した。

【追 記】I am a thousand windsは、もともとはI am in a thousand winds that blowだという記事を発見しました。それなら意味はわかりますね。

KATHERINE JENKINS「Do Not Stand at My Grave and Weep」(春だから女性ヴォーカルを03)_e0022344_8245175.jpg
by kugayama2005 | 2007-04-04 05:46 | ♪音楽の楽しみ(欧州スラブ) | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005