2007年 09月 23日
夏の北海道、後日譚(1)余市と詩人・左川ちか
夏に、積丹の古平に行こうと決めたのは、そこが詩人・吉田一穂の育った土地、繰り返し現出する「白鳥コタン」なのであって、どうしても行っておきたかった。本来なら厳冬期に行くべきだろうけど、自転車旅行のボクとしてはそれは無理なのだ。・・・小樽から国道を走って、突然視界が海に開かれるころ路傍に、「伊藤整文学碑」の場所を知らせる標識がたっている。ボクはそれを見た。でも、「若い詩人の肖像」や、左川ちかについて思いを巡らせるのではなく、伊藤整の子息である伊藤礼氏の本を読んでこんなに自転車に乗り出した経過があるので、ちょっと苦笑して通り過ぎたというだけだった。
余市に近くなると、海岸線を道路と、少し内陸に入って鉄道が走っている。海へはいくつか川が流れ込んでいるが、その辺りで一番大きい川はフゴッペ川で、そこを過ぎてそろそろ余市の市街に入ろうかというころ、登川という小川がある。その上流の登という土地の果樹園に、左川ちかはいて、余市の海岸にある大川小学校に通ったとある。何の気なしに撮ったこれが登川の河口近くだ(古い地図では登川は現在のように直接海に入らず余市川に合流しているが如何にも不自然なので灌漑のためか?)。・・・小川の果樹園、小川にそうて下り来れば、海の砂地に出る。そいうことを左川ちかは詩にしている。
海の花嫁 左川ちか
暗い樹海をうねうねになってとほる風の音に目を覚ますのでございます。
曇った空のむかふで
けふかへろ、けふかへろ、
と閑古鳥が啼くのでございます。
私はどこへ帰って行ったらよいのでございませう。
昼のうしろにたどりつくためには、
すぐりといたどりの薮は深いのでございました。
林檎がうすれかけた記憶の中で
花盛りでございました。
そして見えない叫び聲も。
防風林の湿った径をかけぬけると、
すかんぽや野苺のある砂山にまゐるのでございます。
これらは宝石のやうに光っておいしうございます。
海は泡だって、
レエスをひろげてゐるのでございませう。
短い列車は都会の方に向いてゐるのでございます。
悪い神様にうとまれながら
時間だけが波の穂にかさなりあひ、まばゆいのでございます。
そこから私は誰かの言葉を待ち、
現実へと押しあげる唄を聴くのでございます。
いまこそ人達はパラソルのやうに、
地上を覆っている樹木の饗宴の中へ入らうとしてゐるのでございませう。
・・・防風林の湿った小径、スカンポや野苺の砂山。そして都会(小樽市)に向かう短い列車は、伊藤整や左川ちかが小樽に通学するための函館本線だったのです。この詩は、左川の伊藤整に寄せる切ない思いを知らずともすばらしい詩であるけれど、その事を知って読めば、この茶化したような、おどけたような語尾の寂しさが伝わって読むものをいくたびも魅了する。ボクは評論めいたものは読むのも書くのも嫌悪するけど、いまこそ人達はパラソルのやうに、というのはすごいと思う。いったい、今こそ、なぜ、人達が、パラソルのように、なんだろうと思うけど、表面上、別になんでもないわけで、こういうところが誰も書けないような左川ちかなんだと思う。ここで言いたいのは「誰かの言葉を待ち」なんだろうか、と思うと、左川ちかの心にときめく何かに同感せざるをえない。
佐川ちかの詩は読んだ事がありませんでした。この詩を読んでいると、目の前に次々と風景が浮かび、ところどころに佐川ちかの心情があふれ出ていますな。
厳しくて美しい自然がこういう詩になるのでしょうか。
この方は存じ上げませんが、ゆたーとした
運び方が旧き佳き日本を感じます。
私は6年程札幌に住んでいましたので、よく小樽に遊びに行きました。
日記を拝見していて車で走った余市や銭函の地名と
風景が流れます。
余市はウイスキーの工場があったと記憶してますが、
伊藤整さんの出身地だったのですね。
亦「チャタレイ夫人の恋人」が映画化されたという
記事を雑誌で見ましたが・・・・
若い頃の恋、秘められた熱い恋は、この時(翻訳作業)
伊藤整を懐かしさで満たしたでしょうか?
素敵なお話を有り難うございました。
俄かの作業ではありますが、佐川さんの短い人生、それを凝縮したような濃密な歌、それは演奏会の為に留まらず、ライフワークになりそうな気が致します。
佐川さんにおかれまして、ご存知の事がおありでしたら、ご教授願えれば、とカキコしたしだいです。
左と云う字を使うとは存じませんでした。プログラムにも佐川で載せてしまいました(泣)あまり歌われる事の無い曲だけに、申し訳ない事をした気分です。
今回演奏させて戴くのは、白くの中から、Finaleだけです。
もう一曲現代モノを演るので、それしかカップリング出来なかったのです。
大学の門下の発表会なので、会自体は比較的お気楽ですが、あたしは超真剣です。
・・・ってゆーか、あたし自身詩画を制作するのですが、左川さんの影響、モロに受けました。
子宮に来マシタ。
それ以来、作風が変わった、と謂われる程で。
もう一つ、お伺いしたい事があります。
Finaleの解釈に悩んでいるのです。
あたしは、割れた心臓は伊藤整さんへのハートブレイキング、太陽は、整さんの結婚にも関わらず、続いている関係の情熱、と思い、全体的には繊細な心境なのではないかと感じているのですが、三善先生の曲が余りに激しい為、現世との決別ではないのかと、ピアニストと意見が割れています。
音楽としては作曲者の意見に沿うべきなのでしょうが、あたしには、情熱と共に、あの時代の女流詩人の、繊細な孤独さが感じられてならないのです。
本番は翌日曜なので、もう決定しなければいけないので、久我山さんのご意見が拝聴出来れば嬉しいです。
因みに本番は、東京、護国寺の同仁教会と云う処で、14日に開催されますが、久我山さんは北海道の方なんですよね?
無理ですよね(;▽;)
あたしは声楽で生計を立てられるほどの歌い手ではないので、聴いて戴く機会はないかも知れません。
否、大衆受けする曲ではないので、頻繁にとは申せませんが、白くは四作とも作曲されているので、いずれは全曲、何かの折に歌いたいと思っております。
蛇足ですが、東京もようやく秋めいて来ましたが、昨日今日と蝉がゼンマイをほぐしており、何やら左川さんが降りていらしたような気がしています。
お若くして、童謡と云う新境地を制作される前に逝かれた事、何より残念です。
蛇足どころかミミズの足にもおよびませんが、最後に自作の詩を添えさせて戴きます。
最早 骨すらも見当たらない
逝って仕舞った人々も
時には硬い筋肉を纏い
歪んだ心に つと寄り添う
史aya子(本名です)
テンパっているので、何卒ご容赦を。
ボクはこれから寝ますので内容のあることは明日書きますけど、三善晃氏の歌曲集のCD買ってしまいました。
Finaleの考え方は、絵子さんもピアニストさんもほとんど同じではないでしょうか。ただ、左川ちかは自殺願望はなかったと思われます。癌研での日記には、「手術をして病巣をとって欲しかった」と書いていますし、「死んでいくのが私でよかった」と母に言っています。自殺するヒトではないように思えます。
Finaleとはもちろん死の暗示でもありますが、ボクの考えは、「全く地上の婚礼は終わった」ということが終わりであって、地上の婚礼=恋愛の成就というものは無くなり、心臓は割れた(まさにハートブレイク)という詩だと思います。左川の詩は、自分へのアイロニーが強いですから、あまり死と結びつけて考えないほうがいいんじゃないかと思います。
余りに早いレスに驚いてしまいました。
夭逝の詩人、と云う事に我がピアニストは拘っているようですが、左川さんが発病してからの詩でないとあたしは思っているので(判らなかったので)、久我山さんの、自分へのアイロニー、と云う言葉にピンと来ました。
あたしも亭主持ちですが、まだ枯れてませんから(笑)
本来なら反省すべき事でしょうが、殿方は十人十色の感性を持っていらして、鳩尾に来る事も度々です。左川さんは其れを受け止められる方だったんでしょうね。
明日もあるので、そろそろ寝なければなりません。
主人の出社を見送れるかどうか。
目がしょぼしょぼして参りました。
ではこの辺で。
おやすみなさい。
「(左川ちかの詩は)ぼくらを荒涼とした「死」の海へたった一人にして誘いだすエネルギーを秘めている」(概略)・・・
鶴岡氏は直接、左川ちかを知っているヒトなので、正しい分析と思う。
また、西脇順三郎は「理知的に透明な気品ある思考」が左川の詩をかたちづくっている旨のことを書いています。
<死>に向かって誘い出されてしまうのは読者であって、左川ではありません。三善氏も、左川に誘い出されたヒトなのではないでしょうか?
finaleの初出は1934年10月です。このころは元気だったはずです。とはいえもともと病弱だったということですが。
奇特な方がいらっしゃるもので、ここ↓に書いてあります。
http://www.geocities.jp/moonymoonman/sagawa.html
三善先生は魅入られてしまったにしても、歌い手としては、お客様の前で詩を披露するのですから、作詩者の心にも添いたいのです。
死を描き出すと云うのはエネルギッシュな行為に思えるのですが、どうでしょう。
久我山さんが買い求められたのは、どのCDでしょうか?
あたしは三善先生監修による、瀬山瑛子さんのしか聴いていないんですが(それが作曲者の意図に一番近い筈なので)、若輩者が失礼とは存じますが、詩と曲があたしの中では噛み合わなかったのです。
他の詩を読んでも、激しいだけでなく、とても繊細な感じがしたもので。
曲の激しさの中にも、繊細さを表現できれば、と思っています。
フィナールとプログラムに書いてあって狼狽しました。
日本歌曲にもお詳しいので、もしや、とは思いましたが、左川さんはよく英単語をお使いですよね。アナウンスの方にお伝えしなければいけないので、ご存知でしたら教えて下さい。
教えていただいたHPはともかくブックマークしました。
今日はピアニストが合わせに来るので、これ以上書 け ま せ ん
ドロン!
博識で多才で、謎めいたお方です・・・・・・・・・・・・・。
本当に、ご親切にありがとうございました。
左川さんのお心を再現すべく、精進致します。
既にご承知かと思いますが、よろしかったらどうぞ。
http://soredemo.org/archives_sagawa1.html
絵というより・・もっと、もっと他のものを感じることの出来る画家・・・一番好きな画家かもしれない・・
こうした本は既に有るべき人の手に渡っていて、なかなか市場にはでてきませんし、10年前ならともかく現在古本屋に出ている物でもかなり高額です。
たとえば
http://www.kosho.or.jp/servlet/top
の
連 絡 先
〒101-0051
東京都千代田区神田神保町1-9ハヤオビル6F(旧・下倉ビル)
TEL:03-3291-1479
FAX:03-3291-1430
URL:http://keyaki.jimbou.net/
mail:keyaki@k8.dion.ne.jp
担当者 佐古田 亮介
では85,000です。とても私には手が出ません。
私もつまらぬ散文を書いておりましたが、昭和のあの時代にしかもあのような斬新で冷静に物事を直視した新鮮な詩を書く人がいたことに深く心を動かされた一人です。それまでは海外の訳詩を読んでおりましたが、彼女の影響もあって、最近では日本語の持つ本来の力や魅力といったものを改めて感じ、白秋や藤村から読み直しております。
・・・ワタクシは気力がおとろえて、日本の詩人では、左川ちか、吉田一穂、逸見猶吉の他はもはや読む気になれません。この夏の北海道では、あたまのなかの吉田一穂を整理しようとしたのに、結果は左川ちか特集になってしまいました。小樽のなんとか文学館に、ちかの詩集が展示されていることは知っていたのに、見にはいきませんでした。行けば良かったと後悔し、来春には見にいくつもりです。