アンネ・ソフィー・フォン・オッター 「テレジエンシュタット」 ともかく秋だ好きなCD聴きましょう(21)

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ホロコーストの犠牲となりボクたちには知られていないユダヤ人作曲家の歌曲を、オッターが歌っています。「テレジエンシュタット」とは、アウシュヴィッツに向かう最後の都市の名前です。ジャケットの写真は、イバラでつくられたダビデの星ですね。

ところでこれらの楽曲とは関係ないのですが、イエスはペトロを赦したがユダは赦さなかったのか、というのは難しい問題です。しかしイエスはおそらくペトロもユダも赦したと考えないとつじつまが合わないのではないでしょうか。

・・・よく考えると、ペトロはイエスに追従していたけれどイエスを理解していたわけではない。ところがユダはイエスを理解していた。イエスを理解していたのは、マグダラのマリアとユダだけだったとも言えます。

ところが結果は逆に、ユダは裏切り者に、マグダラのマリアは娼婦とされていて、イエス捕縛後逃げ出してイエスなんぞ俺は知らないと断言したペトロは赦されて復権したばかりか、その後の信仰の中心人物になります。

これは親鸞の悪人正機説とまったく同じ構造ですね。仏(イエス)の御心を知らない悪人(ペトロ)の方が、仏の御心を知る善人(ユダ)よりも成仏しやすいというわけです。

ユダはおそらくイエスの心を熟知し、あるいはイエスとユダは語り合って方針を決めたのだと思います。少なくとも「最後の晩餐」の前にそのような話し合いがあり、ゲツセマネ園でイエスが祈っている間、その事が実行されたわけです。・・・(最近明らかになったグノーシス派の「ユダの福音書」に影響されたわけではありません。それまだ読んでないから)

ユダの考えはどうだったかというと、イエスを取り巻く政治的な環境は危機である、イエスを王と称してやまない弟子たちを引き連れて歩くことは思想的ゲリラ集団の行為であって、このままでは当局から刑事罰を与えられること必至だ。したがって、当局と適当なところですりあわせることをしないなら、逆に乾坤一擲、処刑覚悟で筋を通すしかない。その時、神がイエスの命を救うか否かは神だけが知っている・・・というものだったのではないか。イエスが最後にゲツセマネ園で祈ったのはそういう背景であり、十字架上でも、さらに神の不在を口にしている。

ユダはその間に自殺したことになっているが、それは事実かもしれない。イエスが十字架上で息絶えることが、イエスの信仰を確実のものとし、政治勢力さえもそのことに打ち勝つことが出来ないほど信仰が強固なものになることを知っていたのはユダであり、逡巡し恐れながらも実行したのがイエスだったのではないか。布教などその後のことは他の弟子たちがやればいいことで、ユダは消えるのみであった・・・とか何とか考えたのであります。
by kugayama2005 | 2007-10-09 02:39 | ♪音楽の楽しみ(欧州スラブ) | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005