2018年 08月 31日 ( 1 )

2018日記【006】菅原道真と遣唐使2


『入唐求法巡礼行記』という書物があり、実にすごい記録だと思う。最後の遣唐使の一員として渡海した、円仁という僧の日記だ。


本筋の話は別にして、帰国の経緯が詳しく書かれている。円仁は、当初帰国を拒み、故意に置き去りにされた。しかし希望する修行を続けることが困難であることを知り、在唐新羅人の協力を得て船を調達し、他の日本人とともに帰国する。


新羅と中国は、海運によって通商をしていたのだ。つまり、中国本土から朝鮮半島沿いに、日和見をしながら航行することは特に困難ではなかった。そのまま南下すれば、日本に着く。


一方、遣唐使船は、日本から直接に揚子江河口を目指して行くし、帰りも同様だ。正式な派遣団が、反目している新羅の沿岸をたどって行くことはできなかったのだろう。


しかも正月の長安の行事に参加することが目的だから、日程的に夏から秋口の危険な時期に航海するので遭難が多かった。


つまり美しく艤装した大型の遣唐使船ではなく、小型の快速船で黄海の沿岸を通って行けば比較的安全なのだ。円仁も、さらに置き去りにされた円仁の従者も、そういうルートで帰国しているらしい。


菅原道真の時代には、より多くの唐や新羅の商人が博多に来航し、日本人も多くその船に便乗して往来していた。文物や情報の流通も、もはや遣唐使を必要としていなかったのだろう。


つまり、破綻した最後の遣唐使計画は、ひとえに道真周辺の事情によるものだったのではないか。


【写真】OLYMPUS PEN-FLOMO TRIPLET-43 4/40 SMENA


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by kugayama2005 | 2018-08-31 06:08 | 2018日記 | Trackback | Comments(2)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005