2018年 11月 15日 ( 1 )

2018-08-19に、ロジャー・ペンローズの「量子世界が時空とどう関係しているかを明らかにしなければ、意識や心の問題に対する理解は先に進むことができない」「素粒子に意識の契機となる属性があるのだ」という言葉を介して、意識の発生を遠望したのですが、今回は標記2冊の書物によって、先史時代の人々の認知について考えてみます。


以前、「神の喪失にもだえる人としてのイエス」という観点で、新約聖書をそぎ落としていったら何が残るか、と考えたことがありました。しかし、イエスの時代というのは、一方にユダヤ教があり、一方にローマ帝国があるという、もうすでに充分「歴史的」な時代なのです。意識の発生について考えるなら、もっと時間を遡らなければならない。


そうしているうちに、ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」の中に、そのものズバリの一節を発見してしまいました。その部分を切り詰めて引用します。


『旧約聖書とは<二分心>が失われ、混乱と暴力が起こり、神の声をふたたび得ようと虚しく探したあげく、道徳的規範にその代替物を見出す物語だ』


「<二分心>が失われ(the Breakdown of the Bicameral Mind)」とはいったいなんでしょう?


【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind

(1996)>


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0

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by kugayama2005 | 2018-11-15 02:31 | 2018日記 | Trackback | Comments(6)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005