2019年 01月 09日 ( 1 )

白村江の戦い(西暦663年)~壬申の乱(西暦672年)の間9年に関連して、


◾️壬申の乱3


私見、なぜ天武(大海人皇子)が支持されたのか、


・白村江の戦後の対唐交渉が評価されていた。各地の有力者は、白村江の戦いで大きな犠牲を強いられたが、天智天皇、後の天武天皇(大海人皇子)の戦後処理は粘り強く、誠実なものだった。唐軍の強さには呆れた、というのが実感だろう。したがって、敗戦によって、天皇を中心とした政治体制を覆そうという発想にはならなかった。


・天智(中大兄皇子)、天武(大海人皇子)、持統(鸕野讃良)らが、斉明天皇に率いられて筑紫にむけ軍船を従え西下する情景が、多くの実力者に、新しい国家像として語られ、記憶されていた。唐に対峙する存在が求められていた。


・ひるがえって大友皇子の近江朝の面々はどうだ?、文弱の徒ではないか。漢詩などをつくって、雅宴をもよおしているらしい。沙宅紹明のような滅亡百済の貴族が、その背景にいるのも気にくわない。旧百済を救済に行って酷い目にあったのはわれわれなのだが。


【写真】富山城/SONY DSC-RX0

城ファンではないのですが、勢いで。富山城は、高岡城とともに前田家の支城です。


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by kugayama2005 | 2019-01-09 01:11 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005