2019年 01月 19日 ( 1 )

◾️班田収授法の問題点 土地不足


人口が増えれば、土地が不足するというのは当然で、ここで中学生でも知っている「墾田三世一身法」(723年)「墾田永年私財法」(743年)が登場して、大化改新(646年)、大宝律令(701年)でうたわれた土地は天皇(公)のものという理念は早々に崩れていった。


人口が増えたので土地が不足した、というのは見方によれば、班田によって農民が安定した収穫を約束され、生活が安定したので人口が増えた、と考えることもできる。


しかし、701年の大宝律令で始まった班田収授が、わずか22年で苦境に陥りはじめたというのは、人口増加が原因とは思われない。


班田収授法の特徴として瀧川政次郎先生は、「班田収授法は(豪族の土地支配を抑制するための)社会政策であったため、班田を受けることは権利たるにとどまって義務を伴わなかった」(日本法制史)と指摘されている。


つまり、架空の人物を戸籍に登録して班田を入手したり、死亡した者も生き続けていることにして収公させない、という手口がまかり通ったのだ。「口分田、奸人に入る」(875年・太政官符)の記事を瀧川先生はあげているが、その時点で150年以上にわたって口分田の事実上の私物化、集約が進んでいたということになる。


ここで「奸人に入る」と明記しているのは、良民たる農民がごまかしながら農地を広げていったというニュアンスではない。農民側としては、粗悪な地を口分田として貰い受けても、納税の義務の方が負担になってしまう。


班田収授は実際運用してみると、辺ぴな荒地などが支給されて、自宅から通うのも困難、ということがあった。あるいは、農民が貧窮して田地の維持が困難になったり、逃亡したりした場合、収公をまぬがれる手はいろいろあったに違いない。不便な土地を交換したり、1年契約で賃貸することは合法だったので、「地上げ屋」は嬉々として活躍していたのだろう。「奸人」というのはそういう人々を指し、後の戦国時代には大名にもなったかもしれない。


【写真】富山地方鉄道(富山軌道線)/SONY DSC-RX0

私は鉄道ファンではありませんが、勢いで。


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by kugayama2005 | 2019-01-19 00:37 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005