2019年 02月 13日 ( 1 )

万葉集を読んでいると10年くらいかかってしまいそうなので、あと幾つかで止めたいのだけれど、ちょっと思っていること。


1 万葉集の1、2巻は、時代的に日本書紀の最後の部分にあたるわけで、歴史書には書きづらい諸事が隠されている。


2 万葉集の1、2巻は、それ以降の時代のものとは異なり、詩人が恋や風景などを自由に歌ったものではない。


というようなことを考えると、アララギ派的な読み方(古代人のおおらかな心)は見当違いということになる。


一方、政治的=呪術的な側面を強調して考えると、また間違えることになるだろう。なぜなら、額田王や柿本人麻呂は、巧みに個人的な思考も歌に塗りこめている。


額田王は、最後の宮廷詩人であり、斉明、天智、天武、持統のほとんどの歌は、私見、額田作だ。


一方、人麻呂は持統に成り代わって歌を作ったわけではなく、人麻呂作として伝えられている。これは持統天皇が歌にもともと才能も興味もなく、法律がすでに歌の時代を奪い去ったと、明確に認識していたからだろう。


しかし、ひとつ乗り越えられないものがあった。それは死者の霊に対する畏怖だ。人麻呂が、挽歌や、先王の霊について多くの歌を制作させられたのもそのためだろう。


【写真】富山地方鉄道(立山線)沿線/SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-02-13 02:48 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005