2019年 02月 24日 ( 1 )

柿本人麻呂は、何かモダーンな感じがする。彼が下級官僚で、現実を知っていたからだろう。律令が、古代を打ちのめしていく感覚、それは一種、モダニズムだ。


再度引用するけど、


「人麻呂的なものから、憶良、旅人的な転換が、この時期(西暦701年~724年)に用意されている。それは『万葉』のなかでは一見きわめて自然な展開のように受け止められているようだが、この二十数年の歴史的意味について、なお慎重に検討する必要がある」(白川静著「初期万葉論」)


と、白川先生は書かれているけれど、645年の乙巳の変(蘇我入鹿を宮中で謀殺)から、古代的なものが崩落していった、その末尾が724年(柿本人麻呂の死)ではないかと思う。


さて、持統期についてが長くなったので、時代を少しさかのぼって斉明(=皇極)に移りたい。


何度も書いたけれど、うののさらら(後の持統天皇)の人格形成を決定づけたのが、祖母・斉明(=皇極)天皇だ。


そして、私の目には、天智天皇は、母(斉明=皇極天皇)に引きずり回された、気の毒な息子に見えるのだが。


弟・天武天皇は、一歩さがってなんとか距離を保てた。うののさららも、姉と弟に祖母の愛が集中したので、ある程度、客観的に見ることができた。


天武+持統が、困難な時代を貫き通せたのも、斉明=皇極天皇の強烈なカリスマに耐えながら、その実態を冷静に見ていたからだと思う。


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

  EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-02-24 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


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