2019年 02月 26日 ( 1 )

1 蘇我入鹿を宮中で謀殺(翌日に譲位)


私説、

蘇我氏排除は、京極天皇が指示し、中大兄皇子(天智天皇)と藤原鎌足が立案。


蘇我入鹿の自邸は要塞化していて、攻撃は難しかったから、入鹿ひとりになる朝廷内での謀殺案が採用された。


蘇我入鹿は、朝廷を無視していたので、呼び出す工夫として、外国使節の接遇という虚偽の日程が作られた。


シナリオは藤原鎌足、実行は中大兄皇子(天智天皇)だが、このようなことを京極天皇の指示なしにできるわけがない。


聖徳太子没後、20数年という蘇我氏の専横時代は、あっけなく終わった。


京極天皇は、さすがに目前で蘇我入鹿が斬殺されたので衝撃もあったろうし、蘇我系の逆襲もありえたろう。翌日、弟に譲位し、中大兄皇子(天智天皇)を皇太子とした。


その機会に温められていた大化改新を、弟・孝徳天皇に推し進めさせて、天皇中心の律令国家建設への道が、現実のものとなった。天皇より古い有力者が、討伐された結果だ。


この時、右大臣に登用されたのが、うののさらら(持統天皇)の祖父、蘇我倉山田石川麻呂で、石川麻呂も早晩、謀殺され、うのの母は悶死することになる。母の死によって、うのと姉弟は、京極=斉明に引き取られ、育てられる。


乙巳の変が、頓挫していたらどうなったろうか。蘇我氏が、行政や軍事を独占し、幕府的存在になったかもしれない。もともと蘇我系から天皇を輩出していたわけだから、聖俗一体となった政府ができたかもしれない。


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-02-26 00:02 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005