2019年 02月 27日 ( 1 )

2 弟・孝徳天皇の難波宮から脱出


孝徳天皇は在位9年間、京極天皇は退位しても権力者であり、その脇を息子2人、すなわち(後の)天智・天武が固めている。皇后は、間人皇女(はしひとの ひめみこ)で、彼女は天智の妹、天武の姉。


孝徳天皇は、姉・退位皇極によって、がんじがらめにされている。


さて、孝徳天皇、在位8年目。京極=斉明が、子どもたちを連れて、難波宮を脱出するという事態が起こる。その際、皇后の間人皇女が、兄で皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)と一緒に脱出したことで、この兄と妹は怪しい(実質的に夫婦だった)のではないか、という。古代でも同腹の兄妹の結婚状態は、タブーだ。


吉野裕子先生は、「オナリ神だった」と推察されている。オナリ神とは、妹が兄の守護神となること。とはいえ、当時、皇后が天皇をすてて、皇太子の兄とともに逃げるというのは、大スキャンダルだったろう。


このころ、弟・(後の)天武も、最愛の額田王に出会って、事実婚状態になった。


孝徳天皇は、官僚も引き抜かれて自失状態になり、一時代が終わった。


この時期、「思想としての」律令制を明示し、各有力者の総論賛成を得たのだろう。藤原鎌足も召かれて難波朝に参画している。


難波宮は、実験都市として成功した。大王たるものの理想像、国ぐにを統べる理念も思うままに展開してみた。官僚たちの研さんも実ったので、あっさりと孝徳天皇もろとも廃都となった。


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


ふんふんふん

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by kugayama2005 | 2019-02-27 02:34 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005