2019年 03月 04日 ( 1 )

2 日本国の版図にこだわり


斉明天皇は、「ヤマトの国はいい国だ」と言っている古代の王ではない。明らかに、北海道から九州までを、天皇の支配すべき地と認識している。つまり、多くの王のうちの一人ではなく、王の中の王であること、対外的にはそれを「天皇」と言う、そのことを自覚しているのだろう。


さらに、史料にはないかもしれないが、日本列島の状況も詳しく把握している。おそらく、朝廷と「海人族」との繋がりはかなり強い。


一例として、斉明天皇は、「百済のために新羅を討とうと思われ、駿河国に命じて船を作らせた」という(西暦660年)


駿河国とは?、と考えると、斉明天皇崩御、白村江の戦い直前、百済の豊璋は「日本国から廬原臣(いおはらのきみ)が兵1万を率いてやってくる」と言っている。


廬原(いおはら)は、現・静岡市清水区で、古墳も存在する。おそらく、清水港などを中心に海運、富士川水運を担っていたのだろう。(余計事ながら、清水次郎長も富士川利権)


そしてさらに、廬原は、元は吉備だという。これはまさしく海人族の本筋と言いうる。


斉明天皇は、廬原に造船をさせ、難波津で軍装をさせ、軍船を従えて出航すると、おそらく吉備一帯に寄港している。天皇一族のデモンストレーションであり、募兵もしたのだろう。船には(後の)天智・天武の兄弟も乗っており、ご婦人方も打ち揃っている。うののさららの姉は、天智の子を邑久で出産している。


朝廷と、吉備や駿河など、海運ネットワークとの、密接な関係を想像できる。海人族は元、北九州のを根拠地とした安曇であり、大陸半島情勢にも明るい。


つまり、斉明天皇は、海人族の情報によって、日本列島の姿を正確にイメージできた。北方攻略、半島派兵もその線上にある。


さらに、強引な妄想だが、天武天皇は大海人である。意味なく大海人ではないだろう。壬申の乱(西暦672年)の時、大海人決起す!、の報に接して、海人族はおおいに協力を惜しまなかった、はず。


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


みんなに、みせよう

e0022344_16394527.jpg


by kugayama2005 | 2019-03-04 00:43 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005