2019年 03月 05日 ( 1 )

3 計画したら即実行


ものごとのタイミングは、実に不思議だと思う。実行が早すぎて失敗する場合もあるし、遅すぎて取り返しのつかないこともある。しかし、全体としては、着手が早く、軌道修正をしながら進むほうがよろしかろう。


藤原鎌足は、病気見舞いの天智天皇に、「白村江の戦いでは役に立たなかった」(無務於軍國)と謝罪して、五日後亡くなった。


こういうような日本書紀の記述が、事実かどうか、それは私には興味がない。事実かもしれず、そうではないかしれない。


知りうるのは、日本書紀にそう書いてある以上、藤原鎌足がそう言ったか、後日誰かが鎌足がそう言ったと書いたか、そのどちらかだ。


つまり、鎌足が自ら「私は役に立たなかった」と言ったのか、他の誰かが「鎌足は役に立たなかった」と思ったのか、どちらかだ。


いずれにしても、白村江の戦いでの惨敗は、藤原鎌足の最大の痛恨事だった。さて、その意味の私説、


1 斉明天皇の開戦決意を止めることができなかった

2 豊璋に百済王としての資質がないことをわかりつつ事を進めてしまった

3 斉明天皇の崩御後、速やかに開戦すれば、早々の唐との遭遇戦は避けられたのに時を費やしてしまった


鎌足には戦術の責任はないとして、特に1にはリアリティがあるのではないか。斉明天皇は、百済遺臣の鬼室福信将軍の使者から、百済復興への協力を仰がれ、「危きを助けるのは当然のこと」と応じ、「雲のようにつどい、雷のように動き、ともに新羅の地で仇を斬ろう」と即断した。早くも2ヶ月後には難波に動座し、戦争準備の陣頭指揮をとった。


天皇と鎌足らは、事前に想定問答を検討していたと思う。おそらく、斉明天皇以外は、鬼室福信の孤軍奮闘をたたえつつ、日本に実害のないよう収めようという思いだったので、結論はあいまいなまま会談に臨んだ。


息子たち(天智・天武)は、母である天皇に反

対意見など言えない。反対をするなら、鎌足が死を決意して諌めなければならない。


【写真】セイタカシギ  早春のセイタカたん

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-03-05 01:14 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005