2019年 03月 10日 ( 1 )

◾️虫信仰とポトラッチ


皇極3年、秋(西暦644年)


富士川のほとりに、おお(多)という下級役人がいた。


彼は、「タチバナにつく虫は、常世(とこよ)虫と言って、その虫を祭ると富を得、若返る」として、虫祭りが都でも田舎でも大流行した。


その虫は、色は緑で黒い縞があり、蚕に似ている(日本書紀)というので、明らかにアゲハチョウの幼虫だ。幼虫がサナギとなり、蝶が羽化するのは誰でも目撃することができるが、日本書紀の編さん者は知らなかったようだ。


民々は虫を安置し、舞い踊って、財産を投げ出したという。


これは、アメリカ先住民に見られた、ポトラッチという行事に似ている。ポトラッチとは、富者が貧者に物品を分けあたえる行事だが、それが嵩じて、貴重品の壊し合いが派生した。


例えば現代、町内の富者Aさんが自分のポルシェを壊してみせると、Bさんは自分のベンツを壊してみせる、というようなもので、見ている貧者も盛り上がるだろう。


理屈で言えば、所有の格差が目立ってきた社会のストレスを、見える形で放射冷却するのだ。


アメリカ先住民に対しては、白人のキリスト教徒が、ポトラッチ制圧に乗り出した。わが国の虫祭りに対しては、秦河勝が乗り出して、おお(多)さんを懲らしめた。


秦河勝(はたの かわかつ)は、聖徳太子の計画によって、他の者は嫌がった仏教の導入にあたった。つまり、当時、新輸入宗教である仏教が、さらに新興宗教である虫祭りに圧倒された。さらに、ことさら日本書紀が書いているように、その虫は「蚕に似ている」のだ。養蚕が看板のひとつである秦氏にとっては、聞き捨てならぬこと。


それを朝廷も見過ごすわけにはいかないわけで、制圧役は秦河勝になるのだ。嫌味な人事とも言える。


秦河勝は、ご苦労なことに、富士川まで出かけて行き、おお(多)さんを打ちこらした、という。おお(多)さんは死んだのか?、日本書紀にはそこまで書いていないが、おそらく、おお(多)さんは、足柄山あたりにスタコラ逃げ出したに違いない。


当時、富士山は、都の人にとっては異教の魔の山である。追いかけては行かない。


おお(多)さんの懲罰によって、虫祭りの巫女たちは恐れ、民々に勧めるのをやめた、という。虫祭りは、すでに組織化されていたのだ。


虫祭り猖獗。江戸幕末の「ええじゃないか」にも通じるものがある。「ええじゃないか」は、天からお札が降ってくる、と称して、民々が仕事も放り出し、「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃し、踊り回るという事態で、何日も続いたという。


【写真】早春のアオサギ劇場

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-03-10 00:41 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005