2019年 03月 11日 ( 1 )

◾️虫信仰はさておき仏教など


厩戸豊聡耳(うまやとの とよ と みみ)は、後に聖徳太子と呼ばれるが、推古天皇(在位西暦593-628)の皇太子であり、実務をすべて任された摂政だ。


聖徳太子は、皇太子就任11年目、「私は尊い仏像を持っている。誰かこれを祀るものはいないか」と言い、秦河勝(はたの かわかつ)が引き受けて、(今の)広隆寺を作った。


この辺から話は妄想におちいるので、良い子は読まないでいただきたい。


聖徳太子はペルシア系、というトンデモ説があるが、それはある程度、的を得ているのかも知れない、と思う今日この頃。


ペルシア人は、海路を東にインドへ、陸路を西域から長安へ、貿易の旅に出たのだ。サーサーン朝ペルシアは、イスラム勢に圧迫されて消滅するが、その前に多くのペルシア人が大陸から半島へ、半島から列島へやって来ても不思議ではない。


宗教については、ペルシアには、キリスト教ネトリウス派、仏教が流入し、既存のゾロアスター教と混交(習合)した。


また、一方、キリスト教ネトリウス派の宗教施設を、当時の中国では、「大秦寺」(太秦=秦氏の根拠地ウズマサと相似)と言ったらしい。つまり、秦河勝は、ひそかなキリスト教ネトリウス派(景教徒)ではないか、というわけだ。


聖徳太子の「尊い仏像を祀るものはいないか」という話は、事前に聖徳太子・蘇我馬子・秦河勝の間で決めていたことを、公にしたにすぎない。それ以前に、蘇我馬子は、仏教を奨励し、旧来の呪術を支持する物部守屋と激しい争いをしてきたが、蘇我系の聖徳太子が摂政になるに及んで、諸貴族の前で、仏教を公認させたわけだ。


蘇我系としては、蘇我稲目(馬子の父)以来の、朝廷に仏教を持ち込むという戦略が日の目を見た。「虫祭り」をさっそく撲滅したのも、道理だ。


さて、仏教と言っても、実は仏教を隠れ蓑にして、ゾロアスター教が伝えられているのではないか。仏教やキリスト教を隠れ蓑にするのは、ゾロアスター教がマニ教へ統合されたころの戦術らしい。


秦河勝にとっても、キリスト教ネトリウス派とゾロアスター教とは混交(集合)しているので、許容範囲だ。


そう妄想してくると、


ゾロアスター教の影響について、二つだけあげておきたい。


1 地獄

2 近親婚


【写真】早春のアオサギ劇場

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-03-11 01:55 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005