2019年 05月 28日 ( 1 )

日本書紀はかなり客観的に書いているとはいえ、当事者が関わっている時代は、微妙なものがあります。


蘇我倉山田石川麻呂(そがの くらやまだ いしかわまろ)については、特にその感があります。持統天皇の母の父であり、その自死によって家族も道連れになった。持統天皇の母も悶死して、幼い子どもたちは皇極天皇(父の母)に引き取られた。


それが同時代だったわけです。日本書紀では、石川麻呂がいかに「中大兄と鎌足の政略に利用されたか」について述べています。が、


乙巳の変(蘇我入鹿謀殺)が、蘇我入鹿と蘇我倉山田石川麻呂の、蘇我氏内の対立事件だとすると、なるほどそれらしき結果もあります。


乙巳の変(蘇我入鹿謀殺)後の石川麻呂の地位  ◾️右大臣に昇格


  乙巳の変(蘇我入鹿謀殺)後の石川麻呂の財  ◾️蘇我宗家の財を統合


しかし、その後、石川麻呂は謀略により自死。財産は、オオキミ(天皇)側に没収された。


要するに、蘇我倉山田石川麻呂に蘇我氏掌握の野望があったとして、その野望を育てつつ、最終的にまとめて収奪したのはオオキミ側(孝謙天皇・皇太子中大兄・鎌足/背景に皇極天皇)なのだが。


【写真】LOMO TRIPLET-43 4/40 SMENA/初夏の花ばな/OLYMPUS OM-D E-M1


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by kugayama2005 | 2019-05-28 00:23 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005