2019年 06月 24日 ( 1 )

馬韓は、東方の土地を亡命者(秦人)に割譲した


どうも太っ腹な馬韓ですが、「翰苑(かんえん)」という書物(後漢書等から転記)によると、


馬韓の人は、金銀錦などを貴ばない

牛馬に乗ることを知らない

玉を重要視し、衣服や体につける

田植えの時期、鬼神をまつり、昼夜酒宴を催し、みんなで歌い踊る

秋の収穫時も同様


これは私的妄想で言うと、倭人そっくりです。というより、半島南部はほんらい、(大陸からみて)倭と似ているものと思います。というのは、魏志にいわく、「韓は帯方の南にあり、東西は海で限られていて、南は倭に接している」。


「東西は海に限られている」と正確に認識されており、続いて「南は倭に接している」ということは、半島の南辺は、「倭」だということになります。


北方から南下してきた人たち、すなわち、辰韓の秦人や、高句麗、新羅の人たちは、金属を貴び牛馬に乗りますが、


倭人や馬韓人は、

もともと金属や乗馬を知らず

玉を貴び

田植えや収穫の祭りで飲酒し、歌い踊る(つまり北方系の人たちは、そういうことはしない)


というわけです。倭人や馬韓人は、秦人などの金銀鉄をみて、また乗馬する姿をみて、それらを取り入れるため、秦人などの移住を歓迎し、秦人も、倭人や馬韓人を良い顧客と判断したのではないか。


どうやら半島においては、北方から流入した「畑作」民(辰韓)と、南方から流入した「水田稲作」民(馬韓)とが接していたようです。


さらに、近年になって揚子江流域に巨大な文化圏(長江文明)があったことが判明した。半島・列島へ中華文明が伝播した的歴史観が相対化されて、むしろ南方からの「水田稲作」が深層を形成したと考える方が自然ではないだろうか。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-24 00:07 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005