2019年 06月 27日 ( 1 )

列島における古代歌踊と、文字の受容、


について探りはじめる前に、道しるべを置いておきたい。


ひとつは、

◾️大陸の北方文化が伝来するより相当以前に、南方文化が(人の移動を伴って)流入していること。長江文明の存在が明らかになったのは最近なので、列島と南方文化の関係は多くの場合、無視されている。

◾️大陸では寒冷化によって、北方の畑作・遊牧民が南下し、長江(揚子江)周辺の水田稲作民を駆逐した。その結果、水田稲作民は奥地の山岳に逃れ、あるいは海を渡った。


(したがって、北方(隋・唐)の影響(長安へのあこがれ)は、本質的なものではない。)


もうひとつは、

◾️初期万葉、古事記、日本書紀は、編さんの実務に多くの外国人が携わっているが、それは漢文(中国語)の記述のためには不可欠だったからだ。しかし、記述の内容についてはかなり藤原氏等の校訂が入っており、漢文(中国語)の巧拙とは無関係に、(書いてあることが事実という意味ではなく、編さんの真摯さについて)相当信頼できると考える。

◾️初期万葉、古事記、日本書紀の詩(歌)については、多くが体の動きを伴うもので、舞踊と一体化するためには自然な母音の数(音節)を守る必要がある。したがって、文字化される際に無理に5音節や7音節に整理されたものではない。


したがって、素朴な歌が、長歌や短歌に洗練されていったわけではない。むしろ、歌が公的に歌われるものではなく、私的に記述されるものに変わった時こそ、質的変化が起きた。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-27 00:21 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005