2019年 07月 11日 ( 1 )

福永光司氏は「明日香と道教」という対談で、「縄文期からの日本土着の思想信仰がタテ軸とすると、ヨコ軸には大陸からの(道教の)影響が考えられる」と仰っている。


このことがまさに、強い緊張感を伴って現実におきて記録される、つまり歴史化するのが、斉明(天智・天武)持統期だと思うし、福永光司氏も斉明天皇、天武・持統天皇の道教的行動について指摘されている。


そのことの表現者としての柿本人麻呂が、そのヨコ軸に強く牽制されていたことは間違いない。


また、秦の始皇帝の中国統一にともなって、その帝国から追放されあるいは逃亡した人々が、道教的考え方とともに列島にやって来たのだろう。例えば徐福伝説のように列島に、あるいは馬韓を経てやって来た秦人のように。


徐福や秦人は、当然ながら海路で列島に来た。また、機織りの技術者を求めて列島側から、おしなべて「呉」の国と認識されていた江南に航海もしている。


道教が海を渡って来た時、そこには思いがけなく同質の、縄文以来の自然精霊信仰があり、急速に習合していったのではないか。


縄文以来の自然精霊信仰になかったのは、


神社という組織性

金属への傾倒(銅器信仰・錬丹術)


ではなかったか。


【写真】仙山線(仙台山形)SONY DSC-RX0

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by kugayama2005 | 2019-07-11 03:12 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005