2019年 07月 13日 ( 1 )

南方(揚子江下流域)からの道教の伝播があれば、それは例えば秦の始皇帝のころでしょう。


繰り返しになりますが、始皇帝(道教の強力な支持者)の秦帝国の強い命令によって、錬丹術(錬金術)をおこない、不老不死の薬草を求めて四方八方を探索した(させられた)、多くの官人などがいたのです。


彼らのうちの何人かが、列島にも到達した。徐福伝説が事実かどうかはさておき、派遣地で定住する覚悟の人間を伴ってやって来た。そのリーダー格の何人かは、道教の教義を持参し、当然それは漢字で書かれていたわけです。


一般的に、王仁(わに)という人物が、紀元400年ころに、漢字(論語や千字文)を列島に伝えたというように言われていますが、これはおそらく楽浪郡(半島にあった中国の出先機関)出身の帰化人が、日本書紀編さんの際に、先祖の功績として挿入したのでしょう。


徐福的な人物が列島に到達していたとすると、紀元前200年くらいのことですから、漢字の伝来は600年早まるのです。


それら、道教の教義と漢字を保持するグループが、古代の列島に点在していた。例えば、空海の先祖など、という妄想です。空海は、遣唐使の一員に抜擢されるまでは、無名の若者(讃岐のマオくん)です。しかし彼は、すでに漢文をこなし、それだけではなく中国語を使うことができたという説もある。


空海があっという間に習得してきた真言密教は、相当部分、道教と習合しているらしい。父は讃岐国の有力者だったというので、「道教の教義と漢字を保持するグループ」と関係があるのかもしれない。


【写真】仙山線(仙台山形)SONY DSC-RX0

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by kugayama2005 | 2019-07-13 00:01 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005