2019年 08月 01日 ( 1 )

楊羲(当時36歳の修行者)と鬱姫(13歳くらい)は、その後どうなったのだろうか。それはわからない。


実は、天武天皇が「真誥」を愛読していたという説がある。そうならば、楊羲と鬱姫の夢幻的な出会いを、どう読んだのだろう、と思ったのだ。(日本書紀を私的能力の限界で読む限り、天武天皇が「真誥」を愛読していたという記述はない)


うののさらら(後の持統天皇)が、天武天皇(当時は大海人)の元に嫁して来たのは、14歳の時だった。天武が生涯、溺愛したのは額田王だったが、その額田王を兄(後の天智天皇)に強奪され、交換のように兄の「娘セット」を押し付けられた。その次女が、さららだ。


鬱姫(13歳くらい)と、さらら(14歳)が、天武天皇のなかでどう交感したのか。


余計ごとだが、日本書紀で、神功皇后や推古天皇については、まず容貌を賛美する。神功皇后は、その英知と美しさに父もいぶかしく思うほどだったとある。推古天皇は、容色端正、立ち居振る舞いに間違いがない、という。


しかし、持統天皇とその祖母・皇極=斉明天皇については、見た目についての言及がない。時代が近いので、嘘は書けなかったのか。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-08-01 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005