2019年 08月 02日 ( 1 )

陶弘景(456年〜536年)<真誥>に記された、楊羲(当時36歳の修行者)と鬱姫(13歳くらい)の遭遇物語は、実は、楊羲の夢だったかもしれない。物語の最後、紫微夫人が去っていくとき、楊羲は、


「覚下牀而失」だという。


あえて訓み下せば、


「覚めて牀(床)より下りれば、その時(而)、(夫人の姿を)失う」で、石井昌子氏の注解では、「覚」は夢から覚めることらしい。ちなみに牀(床)はベッドではなく、ゆか。誤解なきよう。


楊羲は真人(仙人)と交感できる能力の持ち主で、下級官僚だったようだ。神的世界と交感できる人を、霊媒ともいうので仮に霊媒としよう。


霊媒には神的なものが降りてくる。日本語では、神がかり(神懸かり、神憑り)などと言う。しかし、道教的には、夢による神的世界との交感もありえるらしい。


誇張されたような仙術には否定的な陶弘景も、霊媒によるお告げは許容範囲だったようだ。


◾️葛洪(283年〜343年)<抱朴子>

◾️陶弘景(456年〜536年)<真誥>


陶弘景の時代は、仏教経典(深遠な精神世界)の翻訳、流布が急速に進んで、旧道教の「不老不死の仙人が空を飛ぶ」世界は知識人としては受け入れがたくなっていたのだろう。


次に、相対する葛洪による仙術の一部を抜き書きしておきたい。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-08-02 01:08 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005