2019年 09月 06日 ( 1 )

壬申の乱は3週間の戦争だ。


天武天皇、高市皇子は、実戦には加わっていない(ということは戦争の実体は東国による近江朝攻撃と見える)。日本書紀によると天武天皇は壬申の乱の功績を重視し、多く報いている。ただ、東国の軍勢以外は、当初から旗色鮮明だったかどうかは疑問だ。戦争の要点は、勝つ方に付くことだから。


柿本人麻呂が、琵琶湖西岸を拠点にしていたかどうかは証明されないが、都から遠い近江の地に、いきなり天智天皇の都が引っ越してきたのだ。湖岸に映える、唐もどきの夢のような都。(ただし条里は敷いていなかった)


これは地元としてはチャンスではないか。北陸道の要衝にある、和邇・柿本の地も大歓迎だ。しかし、近江朝は5年で夢まぼろしのごとく消え去る。


667319 中大兄皇子(天智天皇)飛鳥から大津に遷都

66813 天智天皇即位

6691016 藤原鎌足死去

67115 大友皇子太政大臣に

6711017 大海人皇子(天武天皇)吉野に去る

671123 天智天皇崩御

672 壬申の乱、廃都


柿本人麻呂が壬申の乱の際18歳と仮定すると、近江遷都は13歳の時。人麻呂が巡遊神人として活動し、後に朝廷の舎人として採用されたというのならば、まさに青春のめくるめくこの5年だったろう。


天武天皇は、近江朝を出て吉野に向かう途次、身辺の舎人たちを集め、


「朝廷に仕えて名を成そうと思う者は、引き返して役所に戻りなさい」と諭し、半数の舎人が近江朝に戻っていったという。その中に柿本人麻呂がいたとすると面白いのだが。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-09-06 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005