2019年 09月 12日 ( 1 )

◾️大津皇子、草壁皇太子についての日本書紀の記述


大津皇子(謀反が「発覚」し刑死)

『威儀備わり言語明朗で天智天皇に愛されていた。成長するに及び有能で才学に富み、特に文筆を愛した。この頃の詩賦の興隆は、大津皇子に始まった』(686103日)


草壁皇太子(原因不明の突然死)

『皇太子草壁の皇子が薨去された』(689413日)


天武天皇崩御の後、3週間後にクーデター計画が発覚し、翌日処刑された1大津皇子について、その人となりを賛美し、


一方で2草壁皇太子については、何の背景説明もなく「亡くなりました」、というだけの記載には誰しも強い疑義を持つだろう。大津皇子の死も、草壁皇太子の死も、ともに謀殺ではないか、と。そこに共通して存在するのは、もしかして持統天皇の権力欲ではないのか、と。


しかし、権力欲というものは、姉の子や、自身の子をも、ためらわず殺めるものなのか?


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-09-12 01:35 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005