2019年 09月 15日 ( 1 )

◾️ふたつの挽歌


【妄想】柿本人麻呂

 年齢は今のところの推定


◾️686年(33歳)天武天皇崩御

    持統天皇による挽歌(額田王引退?)

◾️689年(36歳)

    草壁皇子(くさかべおうじ)のための挽歌


私は、天武天皇への挽歌は、名義は持統天皇作になっているけど、実作者は額田王だと思う。


それから3年後の、草壁皇子への挽歌は、柿本人麻呂作であると記されている。


天武天皇崩御の後、額田王の役割が、人麻呂に任じられたのだろう。額田王は、弓削皇子や人麻呂との交流も続けており、宮廷歌人としては存在感を放ち続けている。


伊藤博氏は「萬葉集釋注」の中で、草壁皇子挽歌(人麻呂作)について、「天武天皇までを神話のなかの神とし、草壁皇子が人皇第1代」という見方をされている。


額田王から柿本人麻呂へ、という交代も、確かにそういう考え方に即している。


時代は律令制を推し進め、神権政治からすでに法治へと、大きく舵を切っている。リアリスト持統が、側近の詩人にも、時代への同道を求めたといえる。


また伊藤博氏は、人麻呂が表現した長歌と反歌の緊密な緊張感は、「人麻呂と持統宮廷が時代精神の極限として生み出したもの」と指摘しているが、まさにその通りだと思う。


後の「安騎野遊猟歌」で、それはさらに高みを迎える。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-09-15 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005