2019年 09月 18日 ( 1 )

2019日記【260】柿本人麻呂についての私的妄想27


一般に、持統天皇は、


自分の産んだ草壁皇子を天皇にしたい一心で、姉の子大津皇子を見殺しにし、

草壁皇子早生によりその息子(持統にとっての孫=後の文武天皇)を天皇に即位できる年齢までがんばって在位し通した。


子への愛、孫への愛によって、天皇であり続けた、と見なされているが、それは間違えではないか。持統天皇は、天皇であり続ける政治基盤を、自ら強化し、維持していた。そして、その帝位を継承する相手は、亡き夫天武より優れた者でなければならない、という強い信念があった。


持統天皇は、息子の草壁にも、軽皇子(後の文武天皇=持統の孫)にも天皇たる素質を認めていなかった筈だ。持統天皇は少年時に亡くなった、言葉を発しない弟タケルが、宮廷では生きていけないという現実を見て育った。


しかし、結果から見るとたしかに、持統文武(孫)元明(息子の妃)元正(孫)聖武(ひ孫)孝謙(ひひ孫)淳仁(天武系・天智系の折衷)称徳(=孝謙)※ここで天武系が消滅


と、一定期間は天武系が続いたので、一般に言われている持統天皇についての1、2の解釈は、結果から遡行してのそうあるべきという推論であろう。


(その後は、光仁(天智天皇の孫)桓武(天智天皇のひ孫)※長岡京・平安京へ遷都、と天智系になる)


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

e0022344_12531108.jpg


















by kugayama2005 | 2019-09-18 23:51 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005