2019年 09月 25日 ( 1 )

柿本人麻呂

◾️石見国自傷歌1

◾️石見国自傷歌2


私見。柿本人麻呂は、持統天皇の崩御も、平城京への遷都計画(707年)も知らずに亡くなった。亡くなった時も、場所も不明だ。


いわゆる「石見国自傷歌」を根拠に、人麻呂の死を語るのは暴論、というより思考の衰弱だ。


ふたたび私見:


700年(人麻呂47歳)

◾️明日香皇女(天智天皇の皇女)のための挽歌をつくる。同時期に、◾️石見国自傷歌1が作られ、終幕間近な「うののさらら詩歌サロン」で披露された。


701~3

持統天皇は、事実上公務を離れ、吉野などに行幸する。


うののさらら詩歌サロンは自然消滅し、その前後に人麻呂は◾️石見国自傷歌2をまとめ、都を去った。


703年末  持統天皇 崩御

その前後(おそらく前)柿本人麻呂死去


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-09-25 23:11 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005