2019年 10月 07日 ( 1 )

【写真】瀬田川 SONY DSC-RX0 琵琶湖東岸から近江朝攻撃に進軍した大海人皇子(天武)勢は、瀬田川に着くや、対岸にびっしりと陣を敷いた朝廷軍と対峙する。


近江朝軍は、戦いの太鼓を打ち鳴らし、その音は数十里に響き渡った。軍旗は野に満ちてはためき、見渡すかぎり陣営が続いている。弓兵の列から矢が放たれ、雨のごとく降り注いだ。


瀬田橋の中央は切断されており、一本の細い板が渡されている。板には綱がつけられ、大海人軍が渡ろうとすれば、板を落とす仕掛けだ。


膠着状態の時、大海人軍から大分君稚臣(おおきだの きみわかお)という勇者がひとり進み出た。矛を捨て、鎧を重ね着して抜刀、突進して板を渡り、矢を射られながらも敵中に斬り込んだ。


これを端緒に、大海人軍が攻め寄せると、大友皇子らは退却し、大海人軍は膳所に進出した。


膳所(ぜぜ)は天智天皇の食事(膳)を手配する場所としてつくられた場所、地名。


↓ 瀬田川の下流から唐橋を望む。現在の唐橋は、中央の中島を中継して2本かかっている。壬申の乱672年当時は、現在の唐橋の50メートルほど下流にかかっていたらしい。新羅式工法の基礎跡が発見されているそうだ。
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↓ 瀬田橋は、戦乱などで何度も破壊されたり燃やされている。東国からの突入口だ。木曽義仲はどうだったかと気になって調べたら、彼は1183年、倶利伽羅峠から南下して、琵琶湖西岸を通っていた。壊したり燃やしたりする話で、すぐ木曽義仲を思い出すというのも気の毒なもの。木曽義仲が乱暴者というより、平維盛が弱っち過ぎるのだ。
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by kugayama2005 | 2019-10-07 01:35 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005