2019年 10月 16日 ( 1 )

667年、天智天皇による近江遷都。「人々は喜ばず、批判する者が多かった。昼夜、出火があった」(日本書紀)


663年秋、白村江の戦いの敗北。それ以来、西国で防衛のための城塞工事、狼煙台の設置などに東国から多くの人材を徴用した。万葉集の防人歌によって、その具体的な姿が知られている。


朝廷はこの時期、東国へ百済人2,000人を送り込んでいる。この植民は、私見では、ヤマト周辺に多くの百済遺民を置くことに不穏なものを感じて行われた。


近江遷都が、平和への期待をはらんで行われたとは思えない。おそらく、皇極=斉明天皇の難波遷都(私見、蘇我討伐の反動を避けるため)に習ったのだろう。


新羅・唐の日本侵攻が予想されないわけではないが、国内の西国勢・東国勢の朝廷への不信感も募っていたはずだ。


672年、壬申の乱で廃都。たった5年のまぼろし都。


【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 

↓ 近江朝正殿跡

e0022344_14454510.jpg

e0022344_14455412.jpg


















by kugayama2005 | 2019-10-16 01:02 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005