2019年 10月 23日 ( 1 )

◾️懐風藻の人物評


葛野王669706


葛野王(かどのおう)は、大友皇子の第一皇子。すなわち、祖父が天智天皇。それだけではなく、母が十市皇女であるから、母の父が天武天皇、さらに母の母は額田王ということになる。


壬申の乱の際は3歳だから、祖母・額田、母・十市とともに近江朝から退避したのだろう。当然ながらそこには、額田・十市の母娘を溺愛する天武天皇(当時は大海人皇子)の強い救出指示があったはずだ。


「懐風藻」によると、持統天皇文武天皇の継承に重要な節目となった、群臣の会議に、葛野王は決定的な役割を果たす。


持統天皇が召集した(事実上次の天皇を決める)会議は、各自が自説を唱えて一向にまとまらない。持統天皇が、後継を直系の孫の珂瑠皇子(後の文武天皇)にしたがっていることは明白だが、一方、天武天皇の(亡くなった草壁以外の)皇子を後継にすべきだという意見も多かったからだ。


そこで葛野王が弁舌をふるい、「子孫に皇位を継ぐことが法である。兄弟が相続すれば世が乱れる」と、不満げな弓削皇子を睨みつけ、弓削皇子も発言できなくなって珂瑠皇子の皇太子が決まった。


持統天皇としては自身が壬申の乱の首謀者でもあるわけで、天皇の後継者問題に意見を言いにくい立場。もちろん葛野王との事前準備は完璧だったにしても、天智・天武の孫、大友皇子の子という葛野王の特異な血が、群臣を黙らせたのだろう。


【写真】近江神宮 祭神は天智天皇 創設は昭和15年と新しいものだが、清々しく良い社殿 SONY DSC-RX0 
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by kugayama2005 | 2019-10-23 00:27 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005