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白川静氏は、屈原の時代について、


「楚が列国と対峙し、競合するために古い氏族制的な形態から法家的な専制王政を志向したとき、古代集団(坐祝集団)は都を追われ、諸処の聖地を彷徨しながらついに崩壊する」、と指摘して(「初期万葉論」)、


屈原と柿本人麻呂を比較している。


◾️古い氏族制的な形態法家的な専制王政


は、まさに持統期の律令制確立と同じだ。さらに、


古代集団(坐祝集団)=ヤマトにおいての呪歌の担い手とすると、柿本人麻呂が都から消えていった経過にも重なる。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-30 00:34 | 2019日記 | Comments(0)

白川静氏は、柿本人麻呂に現れ、そして衰退していった「呪歌」を、古代中国の屈原と対比している。


屈原は、戦国、楚の人。


楚は紀元前223年まで、900年ほど大陸南東部に存在していた。屈原のころは、淮(わい)河や長江の下流部へ進出し、越を併合したが、次第に西方の秦に追いつめらていく。(越が滅びた時、海上に逃避した人々の一部が流れ着いて、日本の越<越前・越中・越後>を興したという説もある)


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-29 00:03 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️北方(隋・唐)の影響(長安へのあこがれ)は、本質的なものではない。


◾️歌が「公的に歌われる」ものではなく、「私的に記述される」ものに変わった時こそ、質的変化が起きた。


というようなことをなぞって行くために頼りとするのは、折口信夫と白川静です。


もちろん 笑)、◾️ジュリアン・ジェインズによる「二分心」(Bicameral Mind)の喪失=神の声を聴く「脳」の喪失、がその背景にあるのですが。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-28 00:05 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

列島における古代歌踊と、文字の受容、


について探りはじめる前に、道しるべを置いておきたい。


ひとつは、

◾️大陸の北方文化が伝来するより相当以前に、南方文化が(人の移動を伴って)流入していること。長江文明の存在が明らかになったのは最近なので、列島と南方文化の関係は多くの場合、無視されている。

◾️大陸では寒冷化によって、北方の畑作・遊牧民が南下し、長江(揚子江)周辺の水田稲作民を駆逐した。その結果、水田稲作民は奥地の山岳に逃れ、あるいは海を渡った。


(したがって、北方(隋・唐)の影響(長安へのあこがれ)は、本質的なものではない。)


もうひとつは、

◾️初期万葉、古事記、日本書紀は、編さんの実務に多くの外国人が携わっているが、それは漢文(中国語)の記述のためには不可欠だったからだ。しかし、記述の内容についてはかなり藤原氏等の校訂が入っており、漢文(中国語)の巧拙とは無関係に、(書いてあることが事実という意味ではなく、編さんの真摯さについて)相当信頼できると考える。

◾️初期万葉、古事記、日本書紀の詩(歌)については、多くが体の動きを伴うもので、舞踊と一体化するためには自然な母音の数(音節)を守る必要がある。したがって、文字化される際に無理に5音節や7音節に整理されたものではない。


したがって、素朴な歌が、長歌や短歌に洗練されていったわけではない。むしろ、歌が公的に歌われるものではなく、私的に記述されるものに変わった時こそ、質的変化が起きた。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-27 00:21 | Trackback | Comments(0)

◾️書物として記録されたイーリアスに「二分心」の事実を求めるのは無理があるのではないか。


それに反して、列島で文字が使われて出したのは比較的最近で、しかも文字(漢字)の発生過程はかなり研究されている。


したがって、イーリアスを調べるより、列島の古代歌踊を調べたらどうだろう?


イーリアスについての私的妄想については、


詩人(ホーメロス等)が、「二分心」の典型を保持していたのであって、古代ギリシア人一般が「二分心」の典型なのではない

「二分心」崩壊の契機は、「文字の使用」にある


というのが今のところの妄化具合である。ジュリアン・ジェインズ先生のおっしゃっていることとずれてきた。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-26 01:43 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

さて、

◾️ジュリアン・ジェインズによる「二分心」(Bicameral Mind)の喪失=神の声を聴く「脳」の喪失。そして、神というものへの確信が揺らぎ、消えていく。


その契機は、

  言語の発生

  文字の使用

にあるのか?


そして「イーリアス(ギリシア神話の叙事詩)」にジュリアン・ジェインズは、「二分心」(Bicameral Mind)の典型をみているが、


  古代ギリシア人が、「二分心」の典型なのか?

  詩人(ホーメロス等)が、「二分心」の典型なのか?


という疑問が、この列島に照らし合わせて浮かんできます。


イーリアスは紀元前1,000年以上からの歴史を持ち、文字化されたのも2,000年近く前であり、その後、アレキサンドリアの学者が紀元前200300頃に念を入れて校訂したものだという。


つまり、イーリアスをもって「二分心」(Bicameral Mind)の典型を考察することはできるが、書物として記録されたイーリアスに「二分心」の事実を求めるのは無理があるのではないか。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-25 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

馬韓は、東方の土地を亡命者(秦人)に割譲した


どうも太っ腹な馬韓ですが、「翰苑(かんえん)」という書物(後漢書等から転記)によると、


馬韓の人は、金銀錦などを貴ばない

牛馬に乗ることを知らない

玉を重要視し、衣服や体につける

田植えの時期、鬼神をまつり、昼夜酒宴を催し、みんなで歌い踊る

秋の収穫時も同様


これは私的妄想で言うと、倭人そっくりです。というより、半島南部はほんらい、(大陸からみて)倭と似ているものと思います。というのは、魏志にいわく、「韓は帯方の南にあり、東西は海で限られていて、南は倭に接している」。


「東西は海に限られている」と正確に認識されており、続いて「南は倭に接している」ということは、半島の南辺は、「倭」だということになります。


北方から南下してきた人たち、すなわち、辰韓の秦人や、高句麗、新羅の人たちは、金属を貴び牛馬に乗りますが、


倭人や馬韓人は、

もともと金属や乗馬を知らず

玉を貴び

田植えや収穫の祭りで飲酒し、歌い踊る(つまり北方系の人たちは、そういうことはしない)


というわけです。倭人や馬韓人は、秦人などの金銀鉄をみて、また乗馬する姿をみて、それらを取り入れるため、秦人などの移住を歓迎し、秦人も、倭人や馬韓人を良い顧客と判断したのではないか。


どうやら半島においては、北方から流入した「畑作」民(辰韓)と、南方から流入した「水田稲作」民(馬韓)とが接していたようです。


さらに、近年になって揚子江流域に巨大な文化圏(長江文明)があったことが判明した。半島・列島へ中華文明が伝播した的歴史観が相対化されて、むしろ南方からの「水田稲作」が深層を形成したと考える方が自然ではないだろうか。


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by kugayama2005 | 2019-06-24 00:07 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️辰韓での秦人との鉄材取引を空想


これは「翰苑(かんえん)」という書物によったもので、実は空想ではありません。翰苑とは、太宰府の保存していた写本ですが、中国の周辺民族について、諸本から抜き書きしてあるものです。奇妙といえば奇妙な本なのですが、太宰府(外交拠点)としては、大陸そのものもさておき、東アジア周辺国の実態にすこぶる興味があって当然ですね。


秦人については、後漢書から引用していて、内容は、


(始皇帝の)秦国の苦役を避けて、(秦人が)韓国に亡命した

馬韓は、東方の土地を亡命者(秦人)に割譲した

秦人は秦語に似た言葉を話し、(邦を)秦韓(=辰韓)とした

五穀豊穣の土地であり、養蚕をし、鉄を産出した

濊(わい=半島北方の国)、倭、馬韓(の商人は)順番待ちをして鉄を買った。

秦人は鉄の貨幣を用いた

秦人は牛馬に乗り、身長は高く、髪が美しい


つまり、倭国の商人はいちはやく辰韓の産出・精錬する鉄を買い求めるため、北方の濊国や、馬韓の商人と競い合っていた。(それがいつの頃かというと早くて紀元前3〜4世紀。この時期の半島南部には北九州で出土する弥生式土器が発見されているらしい。)


その過程で、秦人の乗馬も見たし、養蚕も見たわけだ。貨幣経済も知った。買うのは鉄材だけではなく、真綿や、馬、馬具も仕入れただろう。


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by kugayama2005 | 2019-06-23 00:01 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

例えば、辰韓での秦人との鉄材取引を空想してみよう。辰韓とは、始皇帝の強権支配を忌避して南下し、半島に移住してきた秦人の国だ。


秦人とは、ペルシア商人だという魅惑説もあるけれど、それはさておき、政治には関係したくない人々であるらしい。半島が三国時代(高句麗・新羅・百済)に入ると百済に併合される。彼らは取引先のひとつだった倭人に誘われて、渡海もしただろう。


倭人は辰韓にある秦人の店に行って、鉄材を購入する。あるいは秦人は養蚕の技術者でもあったので、絹を購入する。その際のやり取りは、まず漢字の表記から始まるだろう。


漢字は、鉄材の輸入とともに列島に入ってきた、というのが私的妄想。


その後の、列島での漢字魔改造によるカナ文字(アルファベット)の創作も、文字の日常化をもたらした。


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by kugayama2005 | 2019-06-22 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️神というものへの確信が揺らぎ、消えていく


ジュリアン・ジェインズの「二分心」(Bicameral Mind)は、ニンゲンの意識と言葉との関係について述べているのであって、言葉と文字との関係にはあまりふれていないと思うが、再確認したい。


言葉の発生というあいまいな現象ではなく、文字の発生が「二分心=Bicameral Mind」の衰退、すなわち神の声を聴くことが「できない」脳をつくったのではないだろうか。


世界史の視点では、文字の発生は歴史的事実として捉えにくいが、日本ではあきらかに、大陸から輸入しました、あるいは大陸から文字を知るニンゲンがやってきて、文字を使うようになりました、ということがわかっている。


【写真】東北本線(小牛田盛岡)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-06-21 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005