西行。(待賢門院ではなく)美福門院に惚れた説があるなら、その娘八条院(暲子内親王)に惚れないのはおかしい。
八条院(1137〜1211)
西 行(1118〜1190)
1156年(西行38歳/八条院19歳)
■今宵こそ 思ひ知らるれ 浅からぬ 君に契りの ある身なりけり(西行)
※今宵こそ痛切に思い知らされました。鳥羽院様との深い因縁がある私なのです。
西行(佐藤義清)は鳥羽院の時代、北面の武士だった。上記の歌は、高野山を降りた西行が、その鳥羽院の崩御に際して葬送にしたがう際の心境だ。その時、(鳥羽院の愛娘)八条院は19歳。
鳥羽院崩御と同時に、保元の乱が起こる。
西行は、鳥羽院の葬送の後、失脚した崇徳院のもとを訪ねる。崇徳院は鳥羽院の長男で、母は待賢門院。つまり西行は朝廷内の紆余曲折に関係なく、敗北側の崇徳院を見舞うという危険をおかした。
■かかる世に 影も変わらず 澄む月を 見るわが身さへ 恨めしきかな(西行)
※鳥羽院崩御とともに皇位継承の争いが起こり、武士が介入してきた。その結果、崇徳帝が謀反人とされ、出家してしまわれた。そんな今、しかし月は美しく澄んでいるではないか。その月を見る我が身が恨めしい。
一説によると美福門院に心を寄せていたといわれる西行が、待賢門院側に走る不思議。やっぱり待賢門院が本命だったのか。