承前:
尾張あたりでは、天皇勢力の浸透が進んだが、統一政治勢力が生まれたわけではなく、切貼り状の情勢だったのだろう。「さなぎ=銅鐸、銅鈴、鉄鈴」勢力が「唐臼」勢力を禁忌としている、というのは古い水田稲作グループが、新しい水田稲作グループと相容れない状況を示しているのかもしれない。
承前:
尾張あたりでは、天皇勢力の浸透が進んだが、統一政治勢力が生まれたわけではなく、切貼り状の情勢だったのだろう。「さなぎ=銅鐸、銅鈴、鉄鈴」勢力が「唐臼」勢力を禁忌としている、というのは古い水田稲作グループが、新しい水田稲作グループと相容れない状況を示しているのかもしれない。
承前:
寺田寅彦は、遠くの言語の類似もありえるのだと書いている。というのは実際、インドとヨーロッパ語族の類似は、単に偶然の類似ではなく、伝播によるものとさまざまな葛藤はあるが、ほぼ認められている。一方、日本語とアイヌ語の関係などは、積極的な研究は途絶している。アイヌ語話者が「北日本の地名の多くはアイヌ語と通じる」とも書いているが、それ以上には進まない。
承前:
だとすれば、「大山(だいせん)」という山も本来は「おおうす」であり、「碓氷峠」なども「山の凍った峠」だけどそこからは「アサマ」が見えるので、いずれも火山系の山に関係している。ちょっと飛躍すれば、「有珠山」なども「ウス」であればアイヌ語とも関係してくる。そんなことをどんどん延長していくと「ゼウス」は天空に光るものだから、ウスと関係があるというトンデモ論的に踏み込むので一応やめておこう。
承前:
それでコドモの時読んだ寺田寅彦「火山の名について」(1931出版)を突然、鮮明に思い出した。寺田先生は日本の火山の名付けについて「Aso Usu Unsen, Unzen Esan」をはじめとして多くの例を列挙し、さらに外国に呼称も調べあげて、その類似が偶然なのかどうかを計算した。それで今思うに、「Aso Usu」というのは同類なのだろうということと、急に閃いたのは、景行天皇のふたりの息子が「オオウス」「コウス」であり、漢字では「大碓(臼)」「小碓(臼)」と当てられるけれど、実際の意味は「大山」「小山」ではないかということだ。
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