承前:

尾張あたりでは、天皇勢力の浸透が進んだが、統一政治勢力が生まれたわけではなく、切貼り状の情勢だったのだろう。「さなぎ=銅鐸、銅鈴、鉄鈴」勢力が「唐臼」勢力を禁忌としている、というのは古い水田稲作グループが、新しい水田稲作グループと相容れない状況を示しているのかもしれない。

2025日記【311】境界と自由1563_e0022344_11575638.jpeg














# by kugayama2005 | 2025-11-07 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

大ウス、小ウスの話に戻って、本居宣長「古事記伝」の記述では「(オオウスを祀る)さなぎ村と云ふところは、昔より碓(からうす)を禁むとぞ」という。これでは何の説明かわからない。「さなぎ」というのは「大きな鈴」らしい。「大きな鈴」にとって「唐臼」がなぜ禁忌となるのか、しかも祀られているのは「大碓命」だというのに。

2025日記【310】境界と自由1562_e0022344_15235488.jpg

















# by kugayama2005 | 2025-11-06 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

寺田寅彦は、遠くの言語の類似もありえるのだと書いている。というのは実際、インドとヨーロッパ語族の類似は、単に偶然の類似ではなく、伝播によるものとさまざまな葛藤はあるが、ほぼ認められている。一方、日本語とアイヌ語の関係などは、積極的な研究は途絶している。アイヌ語話者が「北日本の地名の多くはアイヌ語と通じる」とも書いているが、それ以上には進まない。

2025日記【309】境界と自由1561_e0022344_15455634.jpeg














# by kugayama2005 | 2025-11-05 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

だとすれば、「大山(だいせん)」という山も本来は「おおうす」であり、「碓氷峠」なども「山の凍った峠」だけどそこからは「アサマ」が見えるので、いずれも火山系の山に関係している。ちょっと飛躍すれば、「有珠山」なども「ウス」であればアイヌ語とも関係してくる。そんなことをどんどん延長していくと「ゼウス」は天空に光るものだから、ウスと関係があるというトンデモ論的に踏み込むので一応やめておこう。

025日記【308】境界と自由1560_e0022344_13383860.jpeg













# by kugayama2005 | 2025-11-04 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

それでコドモの時読んだ寺田寅彦「火山の名について」(1931出版)を突然、鮮明に思い出した。寺田先生は日本の火山の名付けについて「Aso  Usu  Unsen, Unzen  Esan」をはじめとして多くの例を列挙し、さらに外国に呼称も調べあげて、その類似が偶然なのかどうかを計算した。それで今思うに、「Aso  Usu」というのは同類なのだろうということと、急に閃いたのは、景行天皇のふたりの息子が「オオウス」「コウス」であり、漢字では「大碓(臼)」「小碓(臼)」と当てられるけれど、実際の意味は「大山」「小山」ではないかということだ。

2025日記【307】境界と自由1559_e0022344_13222391.jpeg













# by kugayama2005 | 2025-11-03 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005
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