「不可触民バクハの一日」で初の出版を英国でなしたアーナンド、そしてガンジーも、アンベードカルも英国で学んだという意味では、インド社会では特別なエリートといえる。
アーナンドを人道主義的な社会主義者という範疇に入れる向きもあるが、どちらかというと文化人だろう。一方、アンベードカルは不可触民の解放に尽くした、不可触民を出自とする知識人だ。
ガンジーは、インドの伝統的な保守層、つまりヒンドゥーカーストの側からの改革を訴えた側面が強いので、アンベードカルのような不可触民としての強い動機を持つ人からは評価されない場合が多い。
そのひとつの例が、「不可触民バクハの一日」に書かれた「分離選挙」への賛否ということになる。
ガンジーは、ヒンドゥーカースト側と不可触民との(理想的な)融和を考えたわけなので、不可触民に固有の選挙権/非選挙権を与える分離政策には反対をした。それに対して、アンベードカルのような不可触民側にとっては、そのような融和策はまやかしと思われた。
実はこの論点は現代でも解消していない。独立インドの憲法で不可触民制は終焉したにもかかわらず、事実上の不可触民は(保護する対象として)存在する。その結果、今でも掃除を家業として継承していくという現実がある。