承前:

宣長先生の古墳覗き2

◼️(古墳の中に)10メートルくらい入ると、奥は上も横もやや広くなっていて、石で家のような形に作ったものが中にたっている。それは高さと幅が1メール80センチほど、奥行きは2メートル70センチほど(現代の計測では長さ2.4メートル/幅1.5メートル/高さ1メートル)屋根の形を模しているのが、入り口から差しているあかりでほのかに見える。(石棺の)後ろの方に回り込んでみたが、暗くて見えない。後ろの隅に30センチばかり(石棺が)欠けているところがあるので、手を差し入れて探りってみたが、何にも触らなかった。内はすべて空っぽなのだ。 ↓ 石棺、この後方角が破損している/commons.wikimedia.

2025日記【331】境界と自由1583_e0022344_16114149.jpeg












# by kugayama2005 | 2025-11-27 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

宣長先生の古墳覗き。本居宣長は明和9年(43歳)3月5日から14日まで、吉野、大和を旅し「菅笠日記」を書いているが、現在「艸墓古墳」と呼ばれている場所に向かい

◼️ここは稀に見に来る人もまれな所なので、道案内する人も場所は正確にはわからない。そのあたりの田夫に聞きながら行ってみると(その直前に行った寺にあった古墳と)同じくらいの大きさの岩屋だ。<本居宣長/菅笠日記続く>  ↓ 艸墓古墳/奈良県桜井市谷657/GoogleMap/私有地のため古墳見学のみ好意で許可されている

2025日記【330】境界と自由1582_e0022344_14401718.jpg















# by kugayama2005 | 2025-11-26 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

ざっと考えると、古墳時代の北九州は「中国大陸の政権(東晋)〜百済〜倭(日本)の外交ライン」を選択できなかったのだろう。つまり、友好国が多くなおかつ実質的に所有している半島南部もあったのでは。いわゆる任那というのは、九州北部勢力の拠点のひとつではないか。そういう磐井氏のような複雑な商圏を持つ北九州の勢力は、単純に東晋〜百済〜というラインに乗りえない。  ↓ 岩戸山古墳/福岡県八女市/GoogleMap

2025日記【329】境界と自由1581_e0022344_14343200.jpg

















# by kugayama2005 | 2025-11-25 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

松木武彦氏の説く「中国大陸の政権(東晋)〜百済〜倭(日本)の外交ライン」が現実にどの程度のリアリティを持ったかは別として、その系列とは相入れない「磐井」が独自の外交政策を貫こうとして起こったのが継体期晩期の磐井の乱だ。磐井の乱については諸説あるようだけど、諸説ある根源は、古事記ではあっさり語られる乱の記述が、日本書紀ではドラマチックに盛り上げられている、というところにもありそうだ。 ↓ 岩戸山古墳/福岡県八女市/GoogleMap

2025日記【328】境界と自由1580_e0022344_15254762.jpeg





















# by kugayama2005 | 2025-11-24 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

大陸(東晋)は北伐で忙しく、自国の維持も怪しくなって、倭(日本)に影響を及ぼしてる暇もない。日本の軍事援助を期待していた百済とも疎遠になる。大王家(天皇)の優位が畿内に現れ、後の律令制に似た構造が現れた(松木武彦)という。それがどう立証されるのかはわからない。

2025日記【327】境界と自由1579_e0022344_15393306.jpeg














# by kugayama2005 | 2025-11-23 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005
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