承前:

それでコドモの時読んだ寺田寅彦「火山の名について」(1931出版)を突然、鮮明に思い出した。寺田先生は日本の火山の名付けについて「Aso  Usu  Unsen, Unzen  Esan」をはじめとして多くの例を列挙し、さらに外国に呼称も調べあげて、その類似が偶然なのかどうかを計算した。それで今思うに、「Aso  Usu」というのは同類なのだろうということと、急に閃いたのは、景行天皇のふたりの息子が「オオウス」「コウス」であり、漢字では「大碓(臼)」「小碓(臼)」と当てられるけれど、実際の意味は「大山」「小山」ではないかということだ。

2025日記【307】境界と自由1559_e0022344_13222391.jpeg













# by kugayama2005 | 2025-11-03 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

アテネ南方のエーゲ海には、いくつかの火山島があり、ギリシアの植民都市があったイタリア半島南部にはもっと活発な火山がある。日本古代には、火山は信仰の対象になりアサマと呼ばれ、後に浅間と漢字表記された。アソ(阿蘇)も同系統かもしれない。

2025日記【306】境界と自由1558_e0022344_04335031.jpeg

■Apo-Macro-Elmarit-TL 60/f2.8 ASPH./Leica TL/……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………..................……………………………………………………………………………….................………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………….................…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………..................……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………..................……………………………………………………………………………………………………………













# by kugayama2005 | 2025-11-02 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

確かに山河森林や海で区切られた地が、日本であることはその通りだ。だから国内でも北海道のようなところに行けば、解放された気分になるのだろう。古代ギリシアと日本の同時代を比べてもおそらく意味はないが、例えば吉野ヶ里遺跡の環濠集落を考える。つまり環濠集落とは、ミニチュアポリスとも言える。国という形を視覚的にも作ったのだ。

2025日記【305】境界と自由1558_e0022344_12070991.jpg

















# by kugayama2005 | 2025-11-01 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

ウェストン「(有名な旅行家である)故タケット氏は、神戸の西およびその周辺にある丘陵地帯を私と一緒に歩いていたとき、その辺りの風景が、彼が知っている現代ギリシアのあちこちの風景と非常によく似ているのに、感嘆の声をしょっちゅうあげた」、山河や海で区切られた土地なのだ。

2025日記【304】境界と自由1557_e0022344_15584007.jpg

















# by kugayama2005 | 2025-10-31 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

承前:

日本と古代ギリシアについて、ウェストンは機知に富んだことを引用する。

「(古代ギリシアの)マレア岬の断崖と、

波と暴風雨の危機について『マレアを回っている時は家のことを忘れろ』といわれているが、この警告で思い出すの日本の親不知子不知という地名である」

2025日記【303】境界と自由1556_e0022344_16014641.jpg















# by kugayama2005 | 2025-10-30 17:00 | 2025日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005
カレンダー