承前:
それで急に話は飛ぶが、古墳時代の終わりについて。ーー「西暦500年ころ、日本で「大王家」が成立し、初代当主は継体大王だった。河内や大和の門閥氏族は新たな「大王家」の群臣となった。」(「古墳時代の歴史」/松木武彦から要約)。つまり、門閥氏族の競い合いが終わった。鉄材を含む資源の域内調達が進み、輸入は途絶えた。それ以前に大陸では五胡十六国など分裂抗争が繰り返され、日本との関係は失われた。これらは全国の古墳を調査してわかったことだ。
承前:
それで急に話は飛ぶが、古墳時代の終わりについて。ーー「西暦500年ころ、日本で「大王家」が成立し、初代当主は継体大王だった。河内や大和の門閥氏族は新たな「大王家」の群臣となった。」(「古墳時代の歴史」/松木武彦から要約)。つまり、門閥氏族の競い合いが終わった。鉄材を含む資源の域内調達が進み、輸入は途絶えた。それ以前に大陸では五胡十六国など分裂抗争が繰り返され、日本との関係は失われた。これらは全国の古墳を調査してわかったことだ。
承前:
多くの人が指摘しているように『魏志』(中国の歴史書)東夷伝・弁辰条に「鉄を産し、韓・濊・倭、皆従ってこれを取る」とある。弁辰とは、弁韓と辰韓で当時半島の南西部。近隣に容易に採掘できる鉄資源があったのだ。倭人も鉄を買ったが、それは主に筑紫人、出雲人という。「古墳時代の歴史」(松木武彦)によると、紀元1世紀以降には日本海経由の鉄の流通量は、瀬戸内海経由での鉄の流通量を凌ぐほどになったという。これらの鉄材によって日本の武器の強度は高まり、農具も改善された。耕作地も拡大整理された。古墳時代に即して考えれば、巨大古墳の出現に鉄器の普及は不可欠だったろう。
承前:
「古墳時代の歴史」/松木武彦/に触れて私的に思ったのは、松木氏が古墳時代の
1 「中国大陸の政権(東晋)〜百済〜倭(日本)の外交ライン」が倭(日本)を外交ラインに登場させた
2 そのことによって鉄材などの活発な流通が日本国内で始まった
という点はもっと強調されていいことと思う。だだし、東晋と日本(倭)の直接の関係ではなく、あくまで東晋に認知されていた「百済」と、東晋に認知されていなかった「日本(倭)」との関係という方が正確ではないだろうか。
承前:
ヤマトタケルの父(景行天皇)の時代、近畿で巨大古墳の造成がはじまった?、という件について。最近は、日本がより日本になったのは古墳時代ではないか、という論に勢いがあるように思えて、なんとか古墳時代に食いついてみたいと計画していた。折しも今秋「古墳時代の歴史」/松木武彦/2025.10.20/講談社現代新書/が刊行され、いよいよ時来たれり、と喜んだのも束の間、松木武彦は昨秋病死していた。
承前:
浦島太郎の話も、待っている親父の側からすると、突然息子がいなくなっていつまでも帰ってこない、という状況。ヤマトタケル(小碓)にしても、結局は「帰ってこない息子」だ。帰ってこない息子は、行った先の美しい娘に惚れてしまって帰ってこない。これは考えようによっては、婚姻による縁者拡大とも思える。ヤマトタケルの父(景行天皇)の時代、近畿で巨大古墳の造成がはじまったという見方もあるので考えてみよう。
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