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◾️懐風藻


天武天皇崩御の直後、謀反の疑いで自死に追い込まれた大津皇子の辞世。


金烏臨西舎

鼓声催短命

泉路無賓主

此夕誰家向


意訳:

金色の日輪は西の屋根に落ちゆき

夕べを告げる音に短い命を思わん

黄泉の国への道を共にする者なく

この夕暮れには宿る誰の家もない


【写真】近江神宮 祭神は天智天皇 創設は昭和15年と新しいものだが、清々しく良い社殿 SONY DSC-RX0 
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by kugayama2005 | 2019-10-21 00:47 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️懐風藻


懐風藻には序文があり、筆者の名は残っていない。彼は自ら、官位の低い身分で暇もあり文を集めて懐風藻をまとめた、と述べている。


そして特に天智天皇の時代に、壮麗な宮殿を建て、世の中も治って、人々は文学に目覚めた、しかし、


但時経乱離

悉従煨燼


と言う。


煨は「埋み火」、燼は「燃えさし」という意味らしい。


近江朝の時期に芽生えた漢詩の多くが、壬申の乱によって、燃えつきてしまったと述べているのだ。彼は、故人の美しい詩文が散逸するのを惜しみ、遠くまで足を運んで詩を収集した。


壬申の乱の際、近江朝が炎上したという記録はないと思うが、「悉従煨燼」とはどういう状況だったのだろう。単なる比喩ではないように思える。


【写真】近江神宮 祭神は天智天皇 創設は昭和15年と新しいものだが、清々しく良い社殿 SONY DSC-RX0 

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by kugayama2005 | 2019-10-20 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️懐風藻


漢詩集「懐風藻」に掲載されている順は、巻頭から、大友皇子、河島皇子、大津皇子。


こういう巻頭の序列は、一見、異なものだ。


・大友皇子648672(壬申の乱敗北で自死 父は天智天皇)

・河島皇子657691(大津皇子謀反の密告者と言われている 父は天智天皇)

・大津皇子663686(謀反を計画したとされ自死 父は天武天皇 母は持統天皇の姉)


↓ 【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0   琵琶湖西岸、近江朝跡を走る京阪石山坂本線(南滋賀近江神宮駅間)。この辺りの主に右側。ゆったりした丘になっている。

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by kugayama2005 | 2019-10-19 00:01 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️懐風藻


751年頃に成立したとされる漢詩集「懐風藻」は、近江朝滅亡の主、大友皇子の詩を巻頭に掲載している。近江朝では、漢詩の宴がひんぴんと開かれていたらしい。


当然ながら近江朝に冷淡な天武・持統系の見方と違って、「懐風藻」には独特のメンタリティがありそうだ。


(大友皇子=父は天智天皇、近江朝の皇太子)


皇明光日月

帝徳載天地

三才並泰昌

万国表臣義


意訳:

わが父天智天皇の威光は日月の如く

その帝徳は天地に満ちあふれている

天地人はともども安らかに栄えおり

国ぐには臣下となるべく礼義を尽す


父の支持によって皇太子たりえた大友皇子の、輝くような日々が手に取るように実感される。


【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 

↓ 近江朝の前方の琵琶湖 、柿本人麻呂に歌われた「滋賀の唐崎」近く。正面は瀬田橋方面。

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↓ 「懐風藻」は、いにしえの風雅な藻(文章)を思う、という意味らしいが、湖岸に打ち上げられた藻も印象的だ。
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by kugayama2005 | 2019-10-18 02:48 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

海外への軍事侵攻、唐軍との会戦と船団壊滅、遷都、近江朝への軍事クーデター(壬申の乱)。近江朝の廃都。10年間の出来事なのだ。


【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 

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by kugayama2005 | 2019-10-17 00:16 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

667年、天智天皇による近江遷都。「人々は喜ばず、批判する者が多かった。昼夜、出火があった」(日本書紀)


663年秋、白村江の戦いの敗北。それ以来、西国で防衛のための城塞工事、狼煙台の設置などに東国から多くの人材を徴用した。万葉集の防人歌によって、その具体的な姿が知られている。


朝廷はこの時期、東国へ百済人2,000人を送り込んでいる。この植民は、私見では、ヤマト周辺に多くの百済遺民を置くことに不穏なものを感じて行われた。


近江遷都が、平和への期待をはらんで行われたとは思えない。おそらく、皇極=斉明天皇の難波遷都(私見、蘇我討伐の反動を避けるため)に習ったのだろう。


新羅・唐の日本侵攻が予想されないわけではないが、国内の西国勢・東国勢の朝廷への不信感も募っていたはずだ。


672年、壬申の乱で廃都。たった5年のまぼろし都。


【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 

↓ 近江朝正殿跡

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by kugayama2005 | 2019-10-16 01:02 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 


↓ 実は昭和49年以降の発掘調査で、近江朝の位置がやっとわかったのだ。

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by kugayama2005 | 2019-10-15 01:31 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 


琵琶湖西岸、京阪石山坂本線(石山寺比叡山坂本)の近江神宮駅。駅前にある案内板。

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↓ 黄色い部分が近江朝跡として発掘調査された場所。(線路の西側。琵琶湖は線路の東側にある)
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by kugayama2005 | 2019-10-14 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 


琵琶湖西岸、京阪石山坂本線(石山寺比叡山坂本)の近江神宮駅。

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by kugayama2005 | 2019-10-13 02:33 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

【写真】近江朝はどこだ? SONY DSC-RX0 


↓ におの浜(膳所方面)から正面左に比叡山を望む。その南、湖面寄りに近江朝はあった。瀬田川を越えて、膳所に集結した大海人軍から、近江朝の一角が見えただろう。

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におの浜(膳所方面)から東岸を望む。
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※なお現在の「におの浜」は最近の埋立地
















by kugayama2005 | 2019-10-12 00:36 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005